マダガスカル・魅惑の島、その歴史と自然とは?

世界の旅

皆さん、マダガスカル島をご存じでしょうか?

アフリカ大陸の東、モザンビーク海峡をはさんで、アフリカ大陸に寄り添うように浮かぶ巨大な島です。

 

 

 

 

 

 

 

グリーンランド、ニューギニア、カリマンタン(旧ボルネオ)に次いで、世界で4番目に大きな島です。

大きさは全長が1580km、最大幅は560kmで面積は日本の1.6倍、その形状はサツマイモのようです。

ですから、「第7番目の大陸」とも「島大陸」とも言われています。

島のほとんどが赤道と南回帰線の間にあります。アフリカ大陸からは近いように見えますが、その距離は約400kmでほぼ東京・大阪間と同じです。

日本からの直行便はなく、成田からバンコック経由で約10時間30分、乗り継ぎ時間を加えると20時間かかる遠い国です。

マダガスカルは大陸から分離して以来、約8000万年の間、独自の自然を育んできました。

動植物の80%はこの島だけに生息する固有の種で、その地形もツィンギーと呼ばれる奇岩群など自然の魅惑に満ちたロストワールドなのです。

日本人が知っているようで知らないマダガスカルについて調べて見ました。

マダガスカル共和国とは

マダガスカルの基礎データ

 

・面積:587,295平方キロメートル(日本の約1.6倍)
・人口:2,697万人(2019年、世銀)(東京・埼玉・千葉の合計とほぼ同等)
・首都:アンタナナリボ(Antananarivo)
・民族:アフリカ大陸系、マレー系、部族は約18(メリナ、ベチレオ他)
・言語:マダガスカル(マダガシ)語、フランス語(共に公用語)
・宗教:伝統宗教(主に先祖の精霊信仰)(52%)、キリスト教(41%)、イスラム教(7%)
・元首:大統領
・議会:二院制(上院63議席、下院151議席、任期5年)
・軍事力(2018年):総兵力約13,500人(陸軍・空軍・海軍)、憲兵隊8,100人
・主要産業:農林水産業(米、トウモロコシ、コーヒー、バニラ)、鉱山業(黒鉛、クロム)、観光
・主要貿易品目:(輸出) 鉱物、クローブ、バニラ、石油製品、(輸入) 原材料、消費財、コメ
・主要貿易国:(輸出)米国、仏、トルコ、中国、日本、(輸入)中国、アラ ブ首連、仏、印、南ア
・通貨・為替レート(2018年):アリアリ・1ドル=3,335アリアリ

                                   

経済状況

 

マダガスカルの労働人口の約74%が農業に従事していますが、低生産性のためDGPに占める割合は25% (2016年、EIU)に過ぎません。

バニラは世界一の輸出国で、香辛料のクローブも世界第2の生産を誇ります。

2009年の政変以降、海外援助の中断や外国投資の撤退、観光客の減少等が原因で経済が低迷しましたが、2016年にIMFによる支援が始まり、世銀や米・仏・独なども借款を開始しています。

日本も資源の積出し港となる国内最大のトアマシナ港の拡張事業を円借款で支援中です。

マダガスカル政府も、繊維産業や観光業の復興に取り組んでいます。

今後、日本企業が筆頭株主であるニッケル・コバルト地金の一貫生産事業が、同国経済の牽引役になることが期待されています。(外務省資料による)

マダガスカルの歴史とは

マダガスカル島は、今から、1億6000万年前、地球上に恐竜が繁栄していたジュラ紀後期にアフリカ大陸から分離、その後約8000万年前の白亜紀末期にインド亜大陸からも離れ、現在の孤立した島になりました。

このため、マダガスカル島の動植物の多くは固有の進化を遂げることになります。

マダガスカル島に人が住み始めたのは、5世紀ごろといわれています。

それまでは無人島だったようで、石器時代など先史時代の痕跡はありません。

一方、東南アジアと東アフリカの間のインド洋では、そのころから交易船が行き交っていて、その中途のマダガスカル島にインドネシア系の人々が上陸したのが、人が定住した始まりといわれています。

8世紀ごろにはアラブ人もインド洋での交易に加わり、12世紀から13世紀にマダガスカル島の東海岸に定住するようになり、アラビア文字や紙づくりなどを伝えました。

その後、大陸からも海峡を越えアフリカ系の人々がやって来て農耕に従事しました。

そのため、マダガスカル人のルーツは主にインドネシア系の人々で、アラブ、アフリカの人々などさまざまな人種が混じり合い、現在のマダガスカル人となったといわれます。

またマダガスカル語は、インドネシアやフィリピンと同じ「オーストロネシア語族」に属することが証明されています。

なお、「マダガスカル」は現地語で「マラガッシュ」で「山の民」と言う意味ですが、その由来は、13世紀にマルコ・ポーロが「東方見聞録」でアフリカ東部にある島のことを、ソマリアの港、モガデッシュと混同し記述したという説が有力です。

マダガスカルがヨーロッパに知られるようになったのは、1500年、マダガスカル島にポルトガル船が嵐で漂着し、船長のディエゴ・ディアスは、この島が東方見聞録のモガデッシュ(マダガシオ)と確信し、ヨーロッパに伝えてからです。

一方、16~17世紀には、マダガスカルの原住民による王国が、西海岸、中央高地、東南部海岸に起こります。

1643年、フランスの東インド会社社員プロニスが南東部海岸にフォー・ドーファンの街を建設しますと、
オランダ人、イギリス人も相次いでマダガスカルを訪れ、貿易とキリスト教の拠点を築こうとしますが、原住民の抵抗に遭い失敗します。

1787年、中央高地のイメリナ王国のアンドリアナムプイニメリナが王位につくと鉄器を使い米の生産を高め、勢力を拡大して、全島の3分の2を征服します。

1810年、その息子、ラダマ1世が王位を継ぐと開放政策をとりイギリスと通商条約を結び、正式にマダガスカル王と認められ、軍事援助や英国プロテスタントの宣教師を受け入れます。

その結果、島内にキリスト教が広まり、マダガスカル語の書き言葉が生まれたり産業も隆盛します。

しかし、1828年、ラダマ1世が亡くなり、その妻ラナバルナが守旧派の支持を得て王位につくと、排外主義に転じ、キリスト教を禁じます。

女王の死後王位を継いだラダマ2世は、再度開放政策をとりますがすぐに暗殺されます。

そのあと3代の女王が続きますが、その間、イメリナ王国がイギリスとの友好を深めていったため、マダガスカルに野心を持っていたフランスは、軍事侵攻を行い、1895年に首都アンタナナブリを占領、植民地化を宣言します。

フランスにとって、マダガスカルは木材やバニラ・クローブなど珍しい香辛料の宝庫として魅力ある島だったのです。

1897年女王ラナバルナ3世は国外追放されイメリナ王国は滅亡しフランス支配が確立しました。

しかしその後、マダガスカル島内では各地でフランスに抵抗する反乱が頻発します。

第2次世界大戦後の1947年3月29日、マダガスカル東部で大規模な武装蜂起が起こり、フランス軍との衝突で6~10万人にも及ぶ犠牲者を出します。現在この日は「1947年記念日」とし犠牲となった人々を悼む日となっています。

1960年、マダガスカルはついにフランスより独立を勝ち取ります。

当初はフランス共同体の一員としてフランスに独占的権益を与えることが独立の条件でしたが、国民の不満は大きく、1973年フランスとの新条約によりフランス圏から離脱しました。

1975年、旧ソビエトや中国との関係を強め、社会主義政権が誕生し、国名を「マダガスカル民主共和国」に変更しますが、1990年代になると社会主義そのものの行き詰まりや経済の低迷に拍車がかかり、非社会主義の政権に戻りました。

1992年、新憲法が制定され「マダガスカル共和国」として、現在に至っています。

マダガスカルの魅力とは?

マダガスカルは今から約8000万年前に大陸から孤立した島となりました。

その後の長い歴史のなかで、マダガスカルは独自の景観をつくりあげ、動植物は固有の進化を遂げてきました。

マダガスカルは「赤い島」と呼ばれるように、赤い土の高地が南北を走っています。

島の中央の首都アンタナナリボがある高原地帯、北部を占める山岳地帯、東部に広がる熱帯雨林、そして西部から南部にかけて続く乾燥地帯など多様な地形と独特な風景が見られます。

そして独自に進化した動植物は、野生動物の70%はこの島にしかいない種であり、植物の80%はここにしか分布しない固有種なのです。

そんなマダガスカルの有名どころを紹介しましょう。

アンタナナリボ

マダガスカルの首都、人口280万人の最大の都市で経済の中心地でもあります。

南北に延びるマダガスカル島中央、標高1400mの高原に位置し熱帯性気候にもかかわらず、日中の気温は18度前後と過ごしやすい気候です。

アンタナナリボとは「千の町」「数が多い」という意味です。

マダガスカルの唯一の統一王朝、イメリナ王朝の初代アンドリアナムプイニメリナ王により建設されましたが、フランス領となりヨーロッパを漂わせる街並みが残っています。

 

 

 

 

 

町の中央には人工湖アヌシ湖があり、10月から11月にかけてジャカランダの木が一斉に紫の花を咲かせる光景は壮観です

町が一望できる南東の丘には、女王ラナバルナ1世が建設し、フィレンツェ様式の4つの塔とアーケードを配した女王宮「The Rova」が残っています。1995年に火災に見舞われ日本なども参加し復旧が進められました。

町の周辺にはレミューズ・パークツィンバザザ動植物公園などがあり、キツネザルなどマダガスカル固有の動植物を見ることができます。

バオバブ

バオバブはいまやマダガスカルを象徴する樹木で、西部の乾燥地帯で見ることができます。

サン・テクジュペリの童話「星の王子様」で有名になりました。

バオバブは、一度見たら忘れられない、巨木を逆さまにしたような特徴的な形状で、圧倒的な存在感を放ちます。

年輪がないため樹齢を測定することは難しく、古い木では数千年にもなるそうです。実は果肉が豊富で食料となります。

 

 

 

 

その名所として知られるのが、マダガスカル島西部のモロンダババオバブ街道でたくさんのバオバブが林立しています。

見逃せないのが、早朝の朝日に照らされて林立するバオバブの清々しい姿、そして夕刻、辺りが夕陽に赤く染まる中、空に浮かび上がるバオバブの神秘的なシルエットで、見た人は感動に息をのんで立ち尽くします。

ツィンギー

バオバブとともに見逃せないのが、「ツィンギー」です。

マダガスカル中西部の世界自然遺産「ツィンギー・ド・ベマラハ国立公園」の752km2の広大な範囲に、先が鋭くとがった岩山が連綿と続きます。

 

 

 

 

 

これが「ツィンギー」で、マダガスカル語で「とがっている、鋭い」という意味です。

この奇怪な絶景は、何万年という時間をかけて、雨や風が石灰岩を削り、あたかも剣山が連なったように見える自然の芸術です。

ツィンギーを構成する石灰岩はかつて大陸の分裂の過程でできた浅海にサンゴ礁が発達し、それが隆起してできあがったものです。

深さが100mを超えるツィンギーの谷間にかけられた長さ70mの吊り橋から眼下に広がる大パノラマは、見る者を圧倒します。

なお、より規模の小さな「ツィンギー」は、マダガスカル北部のアンカラナ特別保護区でもみられます。

キツネザル

マダガスカルにのみ生息する動物ではキツネザルが有名で、「死者の魂」とも呼ばれマダガスカルの代名詞でもあります。

100種を超えるという古い霊長類のキツネザルが生息しています。

 

 

 

 

 

腕を左右に広げながら2足で横っ飛びするシファカ、そして特徴的なしま模様の尾を持ち寒いときに両手両足を広げて日光浴するワオキツネザルなど、それぞれ独自に進化しました。

なかでも、ベローシファカなど8種類のキツネザルが見られるキリンディー森林保護区や現存するキツネザルの中でも最大種で、長い強靱な足で10mも跳躍し大きな声で泣くインドリが見られるペリネ特別保護区は有名です。

「アイアイ、アイアイ、おさるさんだよ~」という童謡をご存じだと思います。そのアイアイもマダガスカルにのみ生息する固有種です。

原住民にはその風貌から「悪魔」とみなされていて、小枝のような細長い指をもつ夜行性のキツネザルです。

また、鋭い歯と指で木の虫をとるため、マダガスカルにいないキツツキの「代理人」という人もいます。

マダガスカル・魅惑の島、その歴史と自然とは?・まとめ

マダガスカルという、約8000万年もアフリカやインドなどの大陸から隔離されたように存在した広大な大地と、独自に進化してきた生物たちは、私たちの好奇心を揺さぶります。

夕日に染まるバオバブの木々の神秘的な光景に、自然と涙が流れるといいます。

近年、その魅力に満ちた自然や風景がテレビやネットの映像で紹介され、日本からもマダガスカルを訪れる人も増えてきているようです。

しかし、一方、経済発展による森林伐採が、特に熱帯雨林地帯で急激に進み、キツネザルをはじめとする野生動物の生存環境に脅威が生まれつつあるのは気がかりなことです。

人類共通の遺産といってもいいマダガスカルの自然が、いつまでも受け継がれていけばいいですね。

そして、自然だけでなく、マダガスカルがこれまで歩んできた8000万年のダイナミックな歴史にも心引かれませんか。


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