1998年に公開されたレオナルド・ディカプリオ主演の映画「仮面の男」は、17世紀のフランス・パリのバスティーユ牢獄に収監されていたという「鉄仮面」の男をモチーフにした映画です。
ストーリーは「三銃士」で有名な文豪アレクサンドル・デュマの「鉄仮面」、「ダルタニャン物語」を下敷きにして、17世紀後半、ルイ14世の暴政を正すために「三銃士」が再び集まり、バスティーユの牢獄に幽閉されているルイ14世の双子の弟を救い出し、国王を入れ替えるというロマン活劇でした。
この映画に出てくる「鉄仮面」の男は実在の人物であり、数十年もの間、牢獄に監禁されていたこ史実です。
「鉄仮面」の男は、国王ルイ14世の命令で厳重に幽閉され、牢獄でも人に会うときは仮面をつけさせられ素顔を見せることを禁じられました。
その正体を知る人間は国王のほか一部の側近のみで、牢獄所長でさえその正体を知らされていませんでした。
かなり高貴な人物だったようで、監獄では通常の囚人とは比べようのない厚遇をうけ、彼の前では監獄所長も脱帽しイスに座ることなく直立して相対したといいます。
当時から仮面の男についてさまざまな噂が流布し、哲学者のヴォルテール、文豪・アレクサンドル・デュマを始め、多くの人がその正体を推理しました。
しかしフランス革命の騒乱で多くの公文書が失われたこともあり、いまだに仮面の男が誰であったのか確定していません。
「鉄仮面」の男は一体誰でなぜ仮面をつけることを強制され、終生牢獄に閉じ込められたのでしょうか。
現在、我が国で容易に入手できる「鉄仮面」の正体を考察した書籍は、ハリー・トンプソン著“「鉄・仮・面」 歴史に封印された男”のみです。
そこで、主としてこの書を参考にしつつ解説します。
バスティーユの謎の囚人
この仮面の男について当時の関係者の証言や日記、書簡などの研究から、現在では次のような事実が明らかになっています。
男は1669年、ルイ14世の命で逮捕され、当時の陸軍大臣ルヴォワによりピネローロ監獄に収監されました。
当時のピネローロ監獄司令官(監獄所長)はサン・マールという役人でしたが、サン・マールは上司には媚びへつらう反面、囚人に対しては冷徹な典型的な役人で、仮面の男を監視させるには理想的な人物でした。
サン・マールは、陸軍大臣ルヴォアの指示により仮面の男の専任となり、サン・マールがその後エグズィル監獄、サント・マルゲット監獄、バスティーユ監獄の司令官と昇進して転勤するたびに仮面の男も同じ監獄に幽閉先を変えられ、終生サン・マールにより監視されることになります。
サン・マールを直接に指揮監督したのはルヴォワが亡くなったあとも、バルベジュー、シャヤールという歴代の陸軍大臣で、仮面の男の動静は常にルイ14世に報告されたといいます。
男が着けた仮面は、よく言われる鉄の仮面ではなく、黒色のビロード製のマスクで、看守をはじめ人と面会するときにだけ着けることを強制されました。
男は一般の看守や他の囚人と口をきくことを禁じられ、禁を破った時は殺してもよいとされ、また彼を逃がそうとした者、彼の秘密を知った者も同様に処罰すると命じられていました。
仮面の男は、「古い囚人」とか「ラ・トゥール(塔の男)」と呼ばれましたが、牢獄では常に静かで不満を漏らさず、問題を起こすこともなかったようです。
かなり高貴な身分だったと思われ、監獄所長をはじめ看守達はこの男の前では起立、脱帽して敬意を払ったといいます。
食事は所長が自ら運び、銀の皿を使って良質の食べ物とワインが出され、室内は上等の家具が備え付けられていたほか楽器を使うことやペットを飼うことさえ許されたました。
仮面の男は1703年11月19日にバスティーユ監獄で死亡します。
パリ市内のサン・ポール教会の墓地にマルショワリーというという偽名で無残にも顔を潰されて埋葬され、正体の手がかりとなる家具や所持品もことごとく処分されたといいます。
鉄仮面の候補者たち
当時、仮面の男の噂は宮廷内や世間に広がっていて、その正体についてはいろいろな人物が候補者としてあげられました。
国王・ルイ14世の双子の兄弟
最も有名なのが、アレクサンドル・デュマの小説「鉄仮面」が描く、ルイ14世の双子の兄(映画「仮面の男」では弟)という説です。
この説では、ルイ13世妃のアンヌ妃が出産する際に、双子とわからず先に生まれた子を誤って王位継承者と宣言してしまいます。
ところがその直後にもう一人胎内から出てきたのです。
当時は双子の場合、後で生まれた子が兄とされていたのですが、側近の宰相リシュリューは事態が混乱することを恐れ、父ルイ13世を説得して弟が王位継承者であることを訂正しませんでした。
そのため兄は身分を隠して育てられますが、成長後自分の素性を知ったためルイ14世は王位を守るために兄に仮面をつけさせて幽閉します。
物語は、三銃士の一人だったアラミスが暴君となったルイ14世に罪をとがめられている親友の大蔵大臣フーケを助けるために仮面の男を牢獄より救い出し国王とすり替えることを計画します。
この物語はデュマが当時の研究者の説を流用したものでした。
しかし、王家の出産は常に多くの重臣や宮廷の女性の前で行われていて、双子の一方を隠蔽することは不可能であること、そもそも子がなかなか出来なかったルイ13世が貴重な双子の一人を隠して育てることはあり得ないことと思われます。
ルイ13世妃・アンヌの不義の子
哲学者であり歴史家のヴォルテールは、仮面の男はルイ13世の妃アンヌと宰相リシュリューの腹心である枢機卿マザランの不義の子だとします。
ルイ13世は女性嫌い、あるいは不能者といわれていて、スペイン・ハプスブルク家から嫁いできたアンヌ妃とは不仲でした。
一方、アンヌ妃はマザランとは極秘に結婚したと噂されるほど親密だったようです。
宰相リシュリューは、ルイ13世に子供ができないのはアンヌ妃に問題があると思っていましたが、アンヌ妃からマザランとの不義の子を産んだことを打ち明けられ、アンヌ妃に懐妊能力があるを知り、巧みに王との同衾機会を作ります。
リシュリューの思惑はみごと実現し、その結果生まれたのがルイ14世でした。
しかし後にルイ14世は母の不義結果生まれた兄の存在を知ると、王家の醜聞を隠すために、この自分の顔に似た異母兄に仮面をつけて投獄します。
ヴォルテールはこの説を、巷間噂されたアンヌ妃とマザランとの関係に加え、アンヌ妃と仮面の男が同じように極上の柔らかな肌着を好んでいたという根拠薄弱な話から思いつきますが、この説は当時はかなり信じられました。
しかし、アンヌ妃がマザランの子を生んだという確固たる証拠はなく、また歴史上、王家の不義の子は多く、それなりの身分を与えられ裕福な生涯を送っている例もあり、仮面をつけて長く投獄するという苛酷な処置をされたことの説明としては説得性に欠けます。
ルイ13世とアンヌ妃の疎遠な関係を理由として、アンヌ妃の不義の子の説としては黒人奴隷との子とかイギリス国王チャールズ1世の重臣で訪仏の際にアンヌ妃と恋愛騒動を起こしたバッキンガム公との子であるといった説がありますが噂の域を出ませんでした。
イタリア外交官
これはイタリアの外交官、エルコーレ・マティオリがルイ14世を騙して金を巻き上げようとして失敗して投獄され仮面の男になったという説で、歴史家の間では長く有力説とされてきました。
マティオリはルイ14世に、北イタリアのカザレ要塞を所有者の代理人と称して売却することを持ちかけ、大金を詐取しようしますが直前に見破られ逮捕されます。
ルイ14世は激怒し逮捕・投獄を命じますが、個人的な復讐心で他国の外交官を投獄したため世間に知られないように仮面をかぶせ厳重に監視したとします。
マティオリが詐欺を働きピネローロ監獄に投獄されたことは事実で、仮面の男の死亡証明書に記載されているマルショワリーという名と本名であるマティリが似ていることもこの説の根拠とされ、後のルイ15世もマティリが仮面の男だと周囲に話していたとされます
しかし、そもそもマティオリの逮捕はヨーロッパでは公知の事実で、仮面をつけさせる必要はありませんでしたし、牢内での処遇は伝えられる仮面の男ほど良いものではありませんでした。
また逮捕されたのは1679年で、仮面の男の逮捕年と言われる1669年には10年遅すぎましたし、サン・マールがピネローロ監獄からエグズィル監獄に転勤する際にはピネローロに残されたという書簡が残っていてサン・マールの所管から外れています。
また1694年にサント・マルゲリット監獄で死亡したという証拠も見つかっていて、マティオリ鉄仮面説は崩れ去りました。
このほかには戦闘で行方不明になったフランスの将軍、イギリスで国王に反逆した貴族、あげくには中国やトルコの皇帝まで仮面の男の正体として流布されています。
本命候補・ユスターシュ・ドージェ・ド・カヴォワとは?
実は、現在では仮面の男の正体は「ユスターシュ・ドージェ」という人物であるという説が主流になっています。
陸軍省の記録保管所に当時の陸軍大臣ルヴォワとサン・マールの間で交わされた書簡類が100通ほど残されていて、近年その書簡類をつぶさに検討すると仮面の男に関して「ユスターシュ・ドージェ」という人物が浮上したのです。
その書簡のうち1669年7月19日付けで、ルヴォワはサン・マークに下記のように命じています
「ユスターシュ・ドージェなる者を国王の命によりピネローロ監獄に送還するので、多重扉の独房を準備して何人も接触させず厳重に監視すること、この囚人の食事は貴官自ら運び、その者の言葉には耳を貸さず、本人にも必要以外のことを話す場合は殺すと警告しておくように」
この文面はまさに仮面の男を示唆したものですが、ルヴォワが書簡の末尾に「この囚人は一介の下僕なので特別な品の用意は不用である」と書き添えていたため、この人物は監獄でかなり厚遇されたという仮面の男とは違うのではないかとも思われました。
しかし、ルヴォワはこのドージェという人物を嫌っていて、当初は「下僕」という言葉でおとしめ、普通の囚人として扱おうとしていたが、この書簡後にルイ14世の強い指示があり不本意ながらドージェを丁重に扱うように変えたと解釈すればその矛盾は乗り越えられます。
ところが、「ユスターシュ・ドージェ」とは誰なのか長くわかりませんでした。
その原因は、陸軍大臣とサン・マークの書簡のほとんどがドージェの綴りを「Dauger」としていて、一回だけ「d’Augers」となっていることを見逃されていたためです。
そこで「d’Augers」に注目して調査するすると「ユスタージュ・ドージェ・ド・カヴォワ」という人物が歴史の影から姿を現しました。
ユスタージュ・ドージェ・ド・カヴォワは宮廷でも一目置かれるカヴォワ家の一員で、家長になると「カヴォワ」と呼ばれたことも鉄仮面の研究者に注目されなかった理由でした。
この人物を調べると1668年、仮面の男が逮捕されたとされる年の前年に、消息が途絶えていることがわかり、仮面の男の正体の有力候補者として注目されるようになります。
ユスタージュ・ドージェ・ド・カヴォワは1637年、リシュリュー宰相付の銃士隊長だったフランソワ・ド・カヴォアの三男として生まれました。
父フランソア・ド・カヴォアは、勇敢な兵士でルイ13世やリシュリューに信頼が厚く銃士隊長に抜擢され、妻のマリーとは六男五女の子宝に恵まれますが早く戦死します。
ユスタージュ・ドージェ・ド・カヴォワは近衛隊に入り、兄たちが戦死したため三男にもかかわらず家を継ぎますが、出来の悪い人間だったようで、放蕩に明け暮れ、巨額の借金を作り、母マリーや家族を悩ましました。
一方、四男のルイ・カヴォワは逆に人柄が良くルイ14世の友人となり、のちに宮内庁長官の地位に就くほどでした。
ドージェはさらに堕落し、悪魔崇拝の儀式に参加するというとんでもない事態を引き起こすと、母親のマリーはドージュの家長としての身分を取り上げ、家から追放します。
その後もドージェの行いは修まることはなく、ついに宮廷で口論から人を殺す事件を起こしたため近衛隊からも解任されます。
またドージェは当時世間を震撼させた宮廷を含む上流階級での連続毒殺事件でも、毒薬密売人として関係していたとの証言もありましたが、事件自体がルイ14世の指示で幕引きされてドージェの犯罪は表沙汰になりませんでした。
不可解なのは、悪魔崇拝は重罪で関係者は終身流刑などに処せられたにも関わらず、ドージェだけは罪に問われず、宮廷での殺人も近衛隊からの追放という軽い処罰で許されたことです。
そこにはなぜか国王ルイ14世の強い意向があったとしか考えられません。
なぜ、ルイ14世は何故、ユスタージュ・ドージェをかばったのでしょうか。
その後、ドージェは無職になり、生活を支えたのは弟のルイ・カヴォアでしたが、ルイが人妻をめぐってその夫と決闘事件を起こしバスティーユに収監されると、ドージェはルイの助けを失いたちまちに生活に困り、まもなく彼の消息は不明となります。
ルイ14世はなぜドージェを幽閉したのか
ユスタージュ・ドージェが消息不明になったのは、ほかでもないルイ14世の命令により捕えられ仮面をつけられ監獄に幽閉されたためでした。
ルイ14世はなぜ、当初はドージェをかばい、最期は監獄に生涯幽閉したのでしょうか。
“「鉄・仮・面」、歴史に封印された男”の作者、ハリー・トンプソンは、ルイ14世の出生までさかのぼり、驚くべき説を主張します。
先に述べたように、前国王ルイ13世は女性嫌いあるいは不能者と言われ、アンヌ王妃とは終生不仲でした。
このままでは直系の跡継ぎを作ることは不可能で、必然的にルイ13世が絶対王位を渡したくない弟のガストン卿が国王になることになります。
宰相であったリシュリューも自己の権力維持のため王位の行方に危機感を覚え、ルイ13世、アンヌ王妃を説得し、代理の父親を求めます。
それが家柄、人物、容姿に申し分のない忠臣のドージェの父フランソア・ド・カヴォアでした。
リシュリューは嵐の狩猟小屋でフランソワとアンヌ王妃の極秘の出会いを計らうと、意図通り事が運び王妃は懐妊します。
その結果、ブルボン王朝の血統を継がない子供が誕生し、1643年、ルイ14世として5歳で王位を継いだのです。
ルイ14世はいつの頃からか自分の出生の秘密に気づいていたと思われます。
国王はユスタージュ・ドージェの数々の悪行にもかかわらず、軽い処分で許したのはドージェが異母兄だったからでした。
ところが、ドージェもこの秘密を知っていて、奔放な生活により苦境に陥ると、この秘密を取引材料としてルイ14世を脅して金品を引き出そうとします。
ドージェの行為は越えてはならない一線を越えました。
この秘密はルイ14世の国王としての正統性を揺るがし、絶対、世間には知られてはならない事実だったのです。
ここに至り、ルイ14世はこれまで影ながらかばってきた異母兄のドージェを見限り、拉致して監獄に幽閉します。
それでも処刑もさけ、監獄でも異例の厚遇をするという配慮は残しますが、二人はあまりにも顔が似ていたので、ドージェと知られないようにするために仮面をつけさせる必要がありました。
かくして仮面の男が誕生したとするのです。
仮面の男の真実とは
ハリー・トンプソンは、さらにルイ14世の実父がフランソア・カヴォアだった傍証として、カヴォア家への異常な優遇を挙げます。
まずフランソア・カヴォアの妻、マリーは生涯にわたり破格の年金が国王より支給されました。
またルイ14世は、ドージェのあとにカヴォア家の長となったルイ・カヴォアに対し格別の才能がなかったにもかかわらず多くの恩恵を施します。
ルイ・カヴォアが決闘事件を起こした際には、周囲からは処刑にすべきという意見があったにもかかわらず、短期の懲役に処し、釈放されると侯爵の地位を与え、宮内庁長官就任という破格の処遇を行います。
なお人妻をめぐってルイ・カヴォアと争った人物が後に陸軍大臣になるルヴォワで、ルヴォアはルイ・カヴォアと確執がありルイの処刑を主張したのもルヴォアでした。
ルヴォワはカヴォア家を憎んでいて国王の指示がなければルイ・カヴォアの異母兄ドージェを牢獄で厚遇するつもりはなかったのです。
さて、現在、ルヴォアのサン・マークへの書簡によりユスタージュ・ドージェが仮面の男だったということは多くの支持をえています。
ただ仮面の男は牢獄では不満を漏らさず静かに自分の運命を受け入れて34年間を過ごしたようですが、投獄される前の悪行三昧だったユスタージュ・ドージェとはどうもイメージが違いすぎて多少の違和感が残ります。
またドージェが仮面をつけて34年にもわたり牢獄に幽閉された理由が、ルイ14世がルイ13世の実子でなく、王統の権利がなかったことを隠蔽するためだったとするハリー・トンプソンの説は、話しとしては面白いのですが立証されていず想像の域を越えていません。
さらにドージェの肖像画も残っていず、ルイ14世とドージェが似ていたから仮面をつけさせたというのも想像に過ぎません。
こう考えるのはどうでしょうか。
ルイ14世は悪行が修まらないドージェを投獄した。しかし信頼する友人のルイ・カヴォアの兄ということを考え監獄内での待遇に配慮した。そしてルイ・カヴォアの名誉を守るため、兄のドージェと世間に知られぬよう仮面をつけさせ厳重に監視させた。
このようにシンプルに考えると明確な証拠がないのにルイ14世の血統を疑う飛躍した説は今のところ必要はないように思えます。
今後も「鉄仮面」に関する新説が出てくることを期待したいですね。
参考:「鉄・仮・面 歴史に封印された男」/ハリー・トンプソン
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