トラベルミステリーといえば西村京太郎ですがその先駆けは社会派推理の巨匠、松本清張でしょう。
もともとミステリーと旅は親和性があるため、多くのミステリーには何らかの旅の要素が織り込まれているものなのですが、松本清張は単に時刻表トリックや景勝地を舞台とするだけではなく、造詣の深い古代史や考古学、民俗学の要素を織り込んだ多くの作品を書いています。
例えば九州の和布刈(めかり)神社の神事を舞台とする傑作「時間の習俗」、飛鳥にある石造物とゾロアスター教の関係を描く「火の路」などの長編ミステリーのほか、短編では「陸行水行」、「東経139度線」ほか数知れません。
その中で1968年発表の「Dの複合」は浦島伝説・羽衣伝説、さらには子午線をめぐる符号など、この分野に興味を持つミステリーファンには見逃せない魅力的なテーマをふんだんに織り込んだ傑作推理小説です。
不審な事件に遭遇する取材旅行
エッセイを得意とする作家伊瀬は、新しく発刊したばかりの月刊誌「草枕」から「僻地に伝説を探る旅」という記事を依頼され、編集者の浜中ともに取材旅行に出ます。
第1回目は浦島伝説をとりあげ丹後や紀州近辺、2回目が羽衣伝説に関連する三保の松原、京都の松尾(まつのお)神社、3回目が補陀洛伝説をテーマとて内房、館山への旅でした。
同行の浜中は作家の伊瀬に劣らず歴史や伝承に詳しく、旅先でも半ば強引に伊瀬を連れ回して取材旅行を続けます。
ところが伊瀬は次々に不審な事件に遭遇するのです。
まず、奥丹後の木津温泉では、死体を埋めたという匿名の投書により地元警察が山中を捜索しているところにぶつかりますが、後日、漁船の古い名版と白骨死体が発見されます。
また途中の明石の人丸神社では偶然に和服の美人女性を見かけ、何故か伊瀬の記憶に残ります。
第1回目の記事が「草枕」に掲載されると、二宮という読者から「取材の場所を決めたのは誰か」などと奇妙な質問の手紙が届いたり、さらに明石の人丸神社で見かけた和服美人が突然自宅に訪ねてきて伊瀬を驚かせます。
女は坂口みま子といい、心を病んでいるのか会話が噛み合わず、ただ伊瀬の取材旅行の距離数が350という数字に符合していると主張して、伊瀬は困惑します。
一方、館山の取材では手紙をもらった二宮という読者と面会しますが、彼は相変わらず取材地を選んだ経緯を繰り返し質問します。
ところが、その直後、坂口みま子が熱海で何者かに殺害されるという事件が起こり、二宮も行方不明になるのです。
伊瀬と浜中はこの事態に興味をかきたてられ、二宮が以前働いていたという京都、そして鳥取の三朝温泉まで調査に出かけ、二宮が事件のカギを握っていることを確信します。
さらに伊瀬は、坂口みま子の言葉をヒントに、これまでの旅先がすべて東経135度、北緯35度上にあることに気づきこの取材旅行には隠された意図があるのではないかと疑い始めます。
その直後、浜中は事件を独自に調査すると言い残し行方をくらまし、さらに突然に「僻地に伝説を探る旅」という企画は中止され、それを告げに来た「草枕」の編集長は翌日に殺害されるという急展開をみせ、事件は混迷します。
伊瀬は事件を解明するために行動を起こしますが、最期にたどり着いた真相は過去の犯罪に対する綿密に仕組まれた復讐計画でした。
伝説をふんだんに織り込んだストーリー
「Dの複合」は古代史や伝説・伝承がふんだんに織り込まれ、この分野に関心がある読者にとっては垂涎の推理小説と言えます。
物語の狂言回しは、作家の伊瀬というより編集者の浜中ですが、読者は彼が旅先で饒舌に披露する伝説・伝承のウンチクを楽しみながらも早い時点で浜中を怪しみ、事件とのかかわりをあれこれと想像しますがこれは作者の計算なのでしょう。
そして取材地と東経135度線、北緯35度線とのかかわりが明らかになると、読者は事件がこの先どう展開するのか興味はさらにかき立てられます。
確かに経緯度線に関する符号は魅惑的なテーマで、ずいぶん前にNHKでも「謎の北緯34度32分を行くー知られざる古代」という番組が放映されています。
北緯34度線上に箸墓古墳を基点として東西に重要な寺社が多く並んでいて太陽信仰と関連していると結論づけたもので大きな反響を呼びました。
原案は1973年にカメラマン小川光三氏が、著書「大和の原像」でこのラインを「太陽の道」と呼んで発表したものです。
「Dの複合」は1968年の発表ですから、清張が経緯度線を先んじてミステリーに取り入れたのはさすがです。
清張は、この後1973年に東経139度線と邪馬台国のかかわりをテーマにした短編小説「東経139度線」を書いていますが、このテーマがよほど気に入っていたのでしょうか。
なお、東経135度48分の線上に藤原京と天武・持統天皇陵や重要古墳が並ぶ「聖なるライン」の存在について歴史学者より学術的に提唱されていて興味深い話です。
Dの複合<旅と伝説を融合したミステリー>・清張を読む(4)・まとめ
一方、「Dの複合」は、伝説・伝承や経緯度線といった舞台装置を優先し、これにストーリーを合わせるためにミステリーの構造が多少複雑になったという批判が一部にはあります。
そこは清張も自覚していたのか、小説の終わりに浜中に事件の謎解きを丁寧に行わせています。
これにより読者は、この小説が他の清張ミステリー同様に、伏線が2重、3重にも張り巡らされ、後半でそれが収斂されて事件の真相が明らかになるという立て付けのミステリーであったことがわかり、心地よい満足感を得ることができるでしょう。
ですから、「Dの複合」は謎解きを重視する読者にとっても十分に満足の行くミステリーあることは間違いありません。
最期に「Dの複合」というタイトルですが、清張は作中で、伊瀬に「北緯35度・東経135度(North Latitude 35 degrees, East Longitude 135 degrees)の4つのDが重なり合っているからDの複合だ。それに緯度・経度は地球を切ってDの形となっている」と言わせていて、ここから採ったことを明らかにしています。
しかしそれでは「Eの複合」でもいいのではないかという人もいて、確かに少々こじつけ感は否めません。
清張の作品には意味がわからない暗示的なタイトルが多く、読み慣れた読者はいつもあれこれ想像して受け入れていたため、「Dの複合」もタイトルの説明は不要だったように思えます。
私なら「伝説・伝承」と事件の「動機」が結びついたミステリー、だから「Dの複合」と推測するところですが清張には、なにか違った意図があったのでしょうか。
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