スーパー健康食・ヨーグルトの歴史と進化

料理

最近の健康志向に加え新型コロナの流行により、からだの免疫力アップがとくに意識されるようになり、ヨーグルトの人気はさらに加速されているようです。

「腸内フローラ」という言葉をよく聞くようになりましたが、私たちの腸の中には多種多様な細菌が生息していて、それがあたかもお花畑(flora)のように見えることを意味しています。

腸内に存在する善玉細菌はバランスをとりながら生息し、腸内環境を良好に保ち腸内の免疫細胞の活性化と病原菌からの防御を行い健康維持に貢献しています。

ですから善玉菌を多く摂取して悪玉菌を抑制することが必要なのですが、その善玉菌を手っ取り早く摂取して、しかも美味しく食べることができるのがヨーグルトなのです。

スーパー健康食といわれるヨーグルトはいつどこで生まれ、どのように進化してきているのでしょうか?

またヨーグルトが日本に登場したのはいつなのでしょうか?

ヨーグルトの歴史と進化について調べてみました。

ヨーグルトの源流とは

ヨーグルトは「発酵乳」の一種です。

発酵乳とは乳を乳酸菌や酵母の働きで発酵させたものです。

その起源は古く、牛や羊、ヤギなどの家畜化が始まった紀元前7000年ごろの新石器時代、現在のトルコであるアナトリアで始まったのではないかといわれています。

家畜が肉用から乳の利用に広がると、保存された乳に自然に存在する善玉細菌が混入し日光の熱により活性化され、乳が発酵することにより発酵乳が偶然に生まれました。

動物の腸管で作った袋に保存していた乳に、袋に付着していた乳酸菌か酵母菌が混じり込んだという説もあります。

そのためヨーグルトという名称はトルコ語の「yogurmak(攪拌/かくはんする)」に由来するといわれていますが、ブルガリア語で「酸味」を意味する「jaurt」が語源という意見もあります。

またチグリス・ユーフラテス川流域では紀元前6500年~6000年ごろに、古代エジプトでは紀元前4000年ごろ、紀元前3000年のシュメール文明において、モンゴルでは2000年前など、各地で出土した土器に残った乳成分の痕跡から発酵乳が作られていたことが指摘されています。

古来、発酵乳が盛んに作られるようになったのは理由があります。

生乳はタンパク質やカルシウム、ビタミンに富む栄養食ですが、微生物にとって格好のすみかで腐敗しやすいため長く保存ができません。

しかし発酵により腐敗までの期間を延ばすことができるのです。

そのため動物の繁殖や哺乳期間の影響で生乳が入手できない時期や地域でも、発酵乳とすることにより安定的に食料として活用できる事になります。

とくに遊牧民族は、野菜や果実をあまり摂らないので発酵乳は貴重なビタミンなどの補給源となりました。

もう一つの理由は中央アジアから東アジアでは、乳糖を多量に摂取すると下痢などを引き起こす「乳糖不耐症」の人々が多かったことがあげられます。

そのため、これらの地域には生乳をそのまま飲む習慣が広がりませんでしたが、発酵させると乳糖が20~30%減少し、さらに乳の水分を減らすといっそう乳糖が少なくなり、タンパク質が濃縮されたカード(凝乳)となって乳糖不耐症の人々にも食べやすい食物となります。

加えて発酵乳は乳酸菌がタンパク質やカルシウム、鉄分などを分解するため、生乳よりも消化吸収に優れていました。

古代の人々は長い経験でこのような発酵乳を好んで食べるようになったのです。

現在、世界には中東地域で作られるラバン、インド周辺のダヒ、ヨーロッパのヨーグルトなど呼び方は違っても基本的には同じような食べ物とみて問題ない発酵乳が約400種類も存在しています。

そのなかで、トルコやブルガリアで生まれ、今日世界中で最も消費量の多い発酵乳がヨーグルトなのです。

ヨーグルトが西ヨーロッパに伝わったのは16世紀半ばです。

当時、腸の病とうつ病に悩んでいたフランスの国王フランソワ1世はオスマン帝国から羊のヨーグルトを作る医師を招き、その医者が生きた羊を引き連れてパリまで行き、その生乳で国王のために作ったヨーグルトが最初といわれています。

しかし、その医者はヨーグルトの製造方法を教えることを拒んだため、フランスでヨーグルトが広く普及するのは19世紀になってからです。

ヨーグルトの誕生

 乳酸菌を発見したのは微生物学の父と言われるオランダのレーウェンフック(1632~1723)といわれていますが、本格的に発酵乳に科学的な知見が適用されたのは19世紀に入ってからでした。

1857年、近代細菌学の祖、パストゥールは時間が経った乳を顕微鏡で調べて、発酵が乳酸菌によりなされることを科学的に明らかにします。

ヨーグルトを世界的な食品に押し上げた功労者は、ロシア生まれの細菌学者でパスツール研究所の主任研究員イリア・メチニコフです。

彼はコレラ菌を研究しており、腸内善玉菌が体内でのコレラ菌の増殖を抑えるのではないかと考えていました。

1900年代の初頭、メチニコフブルガリアを旅すると、毎日ヨーグルトを大量に食べているブルガリアの人々に長寿者が多いことを気づきます。

メチニコフはヨーグルトの中の乳酸菌が腸内に住みついて腸内悪玉菌の増殖と毒素を抑え、胃腸を整えたり動脈硬化を防ぎ、それが長寿につながっていると考え、自らさかんにヨーグルトを食べ周囲の人にも勧めました。

また同時期のブルガリア人の医学者、スタメン・グリゴロフは、ヨーグルトの乳酸菌の分離に成功し、伝統的なブルガリアヨーグルトがブルガリア菌とサーモフィラス菌の2つの菌種であることを発見し、メチニコフの考えを裏付けました。

これが今も変わらないヨーグルトの種菌で、この純粋スターター(ヨーグルト製造用の細菌)の活用により一定の品質を保ったヨーグルトが安定的に生産できるようになったのです。

いつの時代でも、健康・長寿は人々の変わらぬ願いでしたので、メチニコフの「ヨーグルト不老長寿説」は専門家だけでなく、一般大衆も大きな関心を集め、ヨーグルトは瞬く間に世界の注目食品となっていきます。

メチニコフの提唱は、現在でも乳酸菌や腸内細菌の研究に大きな影響を与えており、ヨーグルトの効果が今日も次々と明らかになってきています。

メチニコフは1908年にはノーベル生物学賞を受賞しました。

1925年、メチニコフに影響を受けたスペインの医者アイサック・カラソーはブルガリア株を入手し、バルセロナで小さなヨーグルト工場を立ち上げますが、これがヨーグルトの工業生産の始まりといわれます。

彼は会社名を息子の名ダニエルにちなみダノン(Danone)と名付けます。現在「ヨーグルトの巨人」と言われるダノン社の創業です。

ヨーグルトが機械的に製造できるようになると、ヨーグルトはヨーロッパだけでなく米国、さらには世界中に普及するようになります。

現在、世界のヨーグルト需要の1割を占める米国では、初期にはアラブ、トルコ、ギリシャの移民の食べ物と見なされていました。

しかし1941年ダノン社がナチスの迫害から逃れるためニューヨークに拠点を移し、ヨーグルトの底にイチゴの果肉を敷いたフルーツヨーグルトを発売すると大人気商品となり、ヨーグルトは米国民間にも急速に広がっていきます。

やがて米国市場では通常のヨーグルトを水切りして2~3倍に濃縮したコクがあり高タンパク質のギリシャヨーグルトが人々の健康志向に合致し、市場の半分以上を占めるようになりヨーグルト市場は拡大していきました。

1977年にはFAO(国連食糧農業機関)とWHO(世界保健機関)により「ヨーグルトとは乳および乳酸菌を原料とし桿菌(かんきん)ブルガリア菌、球菌のサーモフィラス菌が大量に存在しその発酵作用で作られたもの」と厳密に定義されています。

日本のヨーグルトの歴史

太古の日本では牛や馬は農耕に利用してもその乳を食物として活用することはなかったようです。

しかし7世紀になると、孝徳天皇に朝鮮半島からの渡来人、善那(ぜんな)が牛乳を薬として献上し、天皇は大いに喜ばれ「和薬使主(やまとのくすしのおみ)」という姓を賜ったことが伝わっています。

701年、大宝律令により皇族用の牛乳を生産する酪農家、「乳戸(にゅうこ)」が都の近くに集められ宮中に牛乳を納入されるようになります。

ただ牛乳は日持ちしないため、発酵食(酪(らく)・蘇(そ)・醍醐(だいご))に加工されたようで、「酪」がヨーグルト、「蘇」はバターとチーズの中間」、「醍醐」はチーズに近いものだったのではないかと推定されます。

平安時代の医学書である「医心方(いしんほう)」にも酪・蘇・醍醐が身体の衰えを治癒し、便秘をなおす、肌のつやを良くするなどに効果があると記述されています。

しかしこれらは天皇や貴族など一部の特権階級で食されただけで一般庶民に広がることはありませんでした。

その後、武士の世の中になると乳の食文化はなくなり、江戸時代、わずかに将軍に滋養強壮食品として献上されたことが記録されています。

明治時代になると政府は富国強兵のため肉食や牛乳を奨励し大量の牛乳が輸入されますが、その余剰品は発酵させて「凝乳(ぎょうにゅう)」と称し整腸剤として売り出されます。

これが事実上、日本で初めてのヨーグルトといっていいでしょう。

日本でヨーグルトの名前が登場したのは大正時代で、1917年(大正6年)、広島合資ミルク会社(現在のチチヤス株式会社)が初めてヨーグルトの名で商品を販売しています。

当時は主に病人向けのもので、小瓶にいれ19銭でしたが、米一升が50銭だったといいますから、かなり高級品だったようです。

ヨーグルトの本格的な工業生産がはじまったのは1950年、明治乳業が発売した「明治ハネーヨーグルト」からで、その後他のメーカーも次々に製造を開始します。

「明治ハネーヨーグルト」は甘味を加えて寒天で固めた日本独特の「ハードヨーグルト」と呼ばれるもので主におやつやデザートとして食べられました。

その後、1969年にはなめらかな半個体で果汁や果肉を加えた「ソフトヨーグルト」、1971年には甘味をつけない「プレーンヨーグルト」、1977年には液状の「ドリンクヨーグルト」、また「フローズンヨーグルト」など多様なヨーグルトが販売されるようになり、日本でもヨーグルト人気は加速されます。

「プレーンヨーグルト」については、1970年、明治乳業が大坂万博のブルガリア館で提供されたヨーグルトを持ち帰りブルガリアと技術提携を行い、桿菌(かんきん)のブルガリア菌、球菌のサーモフィラス菌という2種類の乳酸菌を初めて使用し本場のヨーグルト「明治プレーンヨーグルト」を開発しました。

1973年にはブルガリアより特別に国名使用の許可を得て「明治ブルガリアヨーグルト」と名称変更します。

「明治ブルガリアヨーグルト」の強い酸味と独特の香りは、甘く食べやすい味に慣れた日本国民には当初は受け入れられませんでしたが、それでも徐々に本格的なブルガリアヨーグルトとして浸透していきます。

現在、日本のヨーグルト市場は海外と同様に健康志向、メディアにおいて健康食品として頻繁に取り上げられることで拡大を続けています。

例えば農水省のデータでは1985年の発酵乳生産量が約33万キロリットルで、2020年には約1290キロリットルと4倍にも伸張しているのです。

なお日本においては「ヨーグルト」は商品名に過ぎません。

法律上の名称は「発酵乳」で、「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」により「乳等を乳酸菌または酵母で発酵させ糊状、液状または凍結したもの」と定義し、世界基準よりも広くきめられています。

スーパー健康食・ヨーグルトの歴史と進化・まとめ

ヨーグルトは近年「プロバイオティクス」食品と呼ばれます。

「プロバイオティクス」とは1989年、イギリスの微生物学者ロイ・フラーが「腸内フローラのバランスを改善することにより宿主(しゅくしゅ)の健康に有益な作用をもたらす生きた微生物」と定義した言葉です。

乳酸菌ビフィズス菌などがそれに当たります。

「プロバイオティクス」の有益な効果として、下痢・便秘の防止、腸内細菌のバランス改善、免疫力の強化、腸内感染予防、動脈硬化改善などが科学的に証明されています。

その後、「宿主の健康に有益に働く生きた微生物を含む食品」も「プロバイオティクス」と呼ばれるようになり、その代表的食品がヨーグルトなのです。

最近は「プロバイオティクス」の栄養源となるオリゴ糖や水溶性食物繊維などを「プレバイオティクス」と呼び、さらに「プロバイオティクス」「プレバイオティクス」の2つを組み合わせたものを「シンバイオティクス」と呼ぶようになりました。

「シンバイオティクス」により生きた乳酸菌と乳酸菌の栄養源を同時に摂取することで、腸内環境をさらに効果的に改善することができ、このような機能を持った新しいヨーグルトが日本でも数多く販売されていてヨーグルトファンにとってもうれしい限りです。

このように約一万年前から人類に愛されてきたヨーグルトですがその進化は今も止まらず、ヨーグルトを愛好する人は増え続けているのです。

ヨーグルトは、今後も健康な生活を求める人々にとっては欠かせない食べ物であり続けることは間違いないでしょう。

(参考:ヨーグルトの辞典/朝倉書店、ヨーグルトの歴史/ジューン・ハーシュ)

 

 

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