父母のこと・佐賀のこと・シュガーロードとは?

世界の旅

私は九州の佐賀県に生まれました。有明海寄りの小城市牛津町(おぎしうしづちょう)という小さな町です。

 

 

 

 

 

2005年(平成17年)の町村合併で小城市になりましたが、かつては小城郡でした。JR長崎本線の県庁所在地、佐賀駅より3つ目の駅で降ります。

町の中心の商店街を外れると田畑が広がっていて、町を横断するように牛津川が流れています。

今は小さな川ですが昔は川幅が広く水量豊かで、江戸時代には小城藩の米などの物資を積んだ船も行き来し、牛津は宿場町としてにぎわったようで「九州の小京都」、「九州の浪速(なにわ)」と言われた時期もあったそうです。

父のこと

父の実家は私が幼少のころまで手広く『石橋屋』という仕出し屋をやっており、宿場町の名残りかもしれません。

父は国鉄(JR)に勤めていました。若いころの写真には蒸気機関車を運転している父の雄姿があります。昔の高等小学校だけを出て就職しています。今でいう中卒ですか。

国鉄に入ったころは職場の先輩によく殴られ、つらくて本当に家に逃げ帰りたかったと言っていました。昔の国鉄は鉄拳指導が普通だったのでしょう。しかし、定年まで勤め上げました。

学はなかったのですが、書物はよく読んでいました。

国鉄の下級職員ですから裕福ではなかったのですが、小学5、6年の時に旺文社の文学全集や世界百科事典などを買ってくれました。

夜はよく日本酒で晩酌をしていました。肴はいつもクジラの刺身です。当時、クジラは安かったのです。

横に座っていると食べさせてくれましたが、結構生臭く子供の私にはあまりおいしいとは思えませんでした。タバコは「しんせい」を吸っていました。

手先が器用で自分で納屋を建てたり庭の池を作ったりしました。暇なときはよく自己流で毛筆の練習をしていました。

温厚な性格で、父からはあまり怒られた覚えがありません。
その父に唯一怒鳴られた記憶があります。

小学生の時でしたか、近所の遊び仲間と他人の倉庫の屋根に上り、そこから順に飛び降りて遊んでいました。ところが自分の番になり下をのぞくと、その高さに足がすくんで飛び降りることはできません。

どうしようとじっと屋根の上でうずくまっていると遊び仲間が下からはやしたてます。

その時、いつから見ていたのか、父が家の塀の中から大きな声で「男なら飛び降りらんか!」と怒鳴りました。

私はその声に後ろから押されるように、わーっと目をつぶって飛び降りたのでした。

このシーンはその後の私の人生において、ちょくちょく脳裏によみがえってきます。

ともかくも行動に移さないと前に進めない時など、決断を躊躇していると父のあの時の怒鳴り声が聞こえてくるのです。

父は2013年(平成25年)91歳の誕生日の翌日に亡くなりました。

 

 

 

 

 

晩年は孫たちを車で学校の送り迎え、熱気球大会などに連れて行ったりして穏やかに過ごしました。

熱気球大会は、正式には「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」と言い、毎年秋に、佐賀市と牛津の中間を南北に流れ、有明海に注ぐ嘉瀬川の河川敷で行われる熱気球競技大会です。

アジアでも最大級の大会です。佐賀市の年間観光客数の四分の一がこの大会で占めるという佐賀県では最大のビッグイベントです。十数カ国の外国選手が参加し、日頃めったに外国人にお目にかかれない佐賀で、いなか道を外国人さんがうろうろしているという珍しい一週間になります。

母のこと

母は農家の出です。実家は牛津から数キロ離れた小城町三里というところで、広大な梅林で有名な牛尾山という丘陵地帯のふもとの村です。『うしのおざん』と読みます。

牛尾山には牛尾神社という古い社があります。

796年に桓武天皇の勅令により創建され、箱根、熊野、鞍馬山と並ぶ日本四別当坊の一つで義経、弁慶が腰旗を、頼朝も土地を寄進し、当時は威勢を誇っていたようです。

母は小城女学校、私の母校である現在の小城高校を卒業しています。当時の成績表を見たことがありますが、かなり成績が良かったようです。

女学校を卒業して、牛津の町を歩いているところを父の母に見初められ、息子の嫁にという話になったと母は話していました。

実家の姉と二人だけの姉妹だったので仲が良く、農作業の繁忙時期にはよく実家の手伝いに子供を連れて行っていました。幼いころ母のこぐ自転車に乗せられて暗い夜道を家に帰った記憶がかすかに残っています。

収穫の時期には、婿養子の伯父さんが米やみかん、スイカなどをよく家に運んでくれました。

母は着物の仕立ての内職をしていました。国鉄職員の給料は低く生活費の足しにしていたのでしょう。

学校の試験の日には、頭は起きてすぐには働かないからと言って、私は必ず朝早くからたたき起こされ勉強させられたものです。

私は甘党で、特におはぎ・餡餅などには目がないのですが、これは母の影響です。

よく、よもぎ餅を作ってくれました。子供のころは、よもぎを「ふつ」と呼んでいて「ふつだご」と言っていました。「だご」とはだんごのことです。

お菓子がない時には黒砂糖の塊を母子でかじっていました。

夕食でおはぎが出ることもよくありましたので、おはぎは数年前まで一般的に食事のメニューと思って、英会話教室のフリートーキングでそのことを披露すると、「おはぎは絶対お菓子」と大笑いされ、何かにつけおはぎと私をつなげてからかわれたことがあります。

母が亡くなって、弟からおはぎの夕食がいやでたまらなかったと初めて聞いて、そうだったのかと驚きました。弟は父もそうでしたが、甘党ではなかったのです。

羊羹

小城は小城羊羹で有名です。よく頂きものを母と食べました。今でも市内には20軒もの店があるようです。

 

 

 

 

 

 

 

羊羹とは羊のスープという意味で平安時代に中国から伝わったものの、当時の日本では肉食はタブーであるため、大豆や小麦で代用したことから考え出されたそうです。

江戸時代になると長崎を窓口に砂糖の輸入が増大したため、その物流ルートである長崎街道のスタートに近い小城で盛んに作られたのでしょう。

この長崎から、佐賀、福岡、小倉までのルートを「シュガーロード」といいます。
(追記:2020年6月19日文化庁の日本遺産に認定されました)

厚労省の統計では佐賀市が羊羹の購入金額が日本一多い県庁所在地です(平成20~22年)。

夏目漱石の小説に羊羹の話が出てきます。

「余は凡ての菓子のうちで尤も羊羹が好きだ。別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ」(『草枕』)と主人公に述べさせています。

なにやら官能的な描写ですが、小城羊羹は表面が白く乾いた砂糖がついて少し硬くこれが小城羊羹の特徴とされています。もちろん表面がつるつるで光沢のある羊羹も売っていて私も漱石同様こちらが好きです。

そのほかに、佐賀には丸ぼうろ松露饅頭(しょうろまんじゅう)など美味しいお菓子があります。ぼうろとはポルトガル語でケーキという意味だそうです。シンプルで幼児にも食べやすい、佐賀ではいろんな会合などで出てきます。

松露饅頭は江戸後期に作られ、北海道産小豆によるこし餡がぎっちり詰まった一口サイズの焼き菓子です。この二つも母の大好物でした。

ちなみに江崎グリコの創業者 江崎利一、森永製菓の創業者、森永太一郎は佐賀の出身でこの地がシュガーロードにあったことと関係があるかもしれません。

有明海苔

母は「また海苔ば送っとくから」とお盆や暮れには有明海でとれた味付け海苔をよく送ってくれました。少しピリッとした辛さのある海苔です。ご飯やおにぎりには最高です。

 

 

 

 

 

全国の海苔生産量で佐賀産有明のりは20%弱を占め第一位を誇っています。福岡、熊本の有明のりを合計すると全国の50%弱は有明海で取れています。

有明海は干潮時と満潮時の海水の高低差が6メートルあり、海苔網が海水中で栄養素を吸収する一方、海水上では日光を十分に浴びうま味を閉じ込め、また海水比重が他の地域より低いため、流れ込む河川水の栄養が混じりやすいそうです。

そのためうま味のある高級な海苔ができるといわれています。

母は花が好きで小さな庭にいろいろな花を植えて楽しんでいました。

その花を押し花にして、多くの作品を制作しています。売ってほしいという依頼も多くあったと聞いています。

母からは押し花の趣味についてあまり聞いていなかったので、こんな才能があったのかと今頃驚いています。

本社の花壇のガーデニングを始めたのですが、私にはその才能は引き継いでいないようです。

その母も、家の庭の花が満開に咲いた2015年(平成27年)の3月下旬に85歳で亡くなりました。父が亡くなって2年後でした。

私が遠くで就職したので弟夫婦が年老いた父母の面倒を見てくれました。

今頃になって父母とじっくり話をしなかったことを後悔しています。子供の時の思い出話などをもっとしておくべきでした。

有田陶器市

ただ母の晩年に数回、二人で有田陶器市に出掛けましたが、いい思い出となりました。

 

 

 

 

 

佐賀県のブランドと言えば有田焼ですが、毎年、五月のゴールデンウィーク期間中有田陶器市が開催されます。

毎年500店舗以上の店が道の両側に立ち並び、訪れる客は100万人を超えます。陶器に興味がある人にはお勧めです。

外国からの客も多く、一般的なスタイルは軍手にリュックです。安いものは100円以下からブランドの茶碗、湯呑み、皿などが手に入ります。

母は、「やっぱり香蘭社か深川のものがよかよ」、「こいを神戸に持って帰えんしゃい」とか、店員には「もう少し負からんね」とか言って嬉々として店をのぞいて歩いていました。

5月の初めになると、結構、初夏の日差しが強いのですが、あまり苦にならなかったようでした。

「この世に存在するもので、ひとときも、とどまるものはない」とは仏教の教えですが、この文章を書くためにいろいろ思い出していると、この言葉の意味が身に染みます。(2015年社内報掲載)



 

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