史上最悪のパンデミック・黒死病、その歴史と現在は?(上)

医療

新型コロナウィルスの感染は、まだ拡大を続けています。

WHO(世界保健機構)パンデミックの危機が現実味を増していると警戒感を表明しています。

 

 

 

 

パンデミック(pandemic)とは世界中に感染症が広がることをいいます。

3月9日現在の感染者数をみると全世界で109,417人そのうち中国が80,735人74%を占めています。以下韓国7,478人、イタリア7,375人、イラン7,161人と続きます。

死亡者は全世界で3,869人中、中国は3,119人81%です。以下イタリア366人、イラン237人、韓国54人です。そういう意味では、現在はまだ特定の国に偏った状況と言えるかも知れません。

ところで、人類史上最悪のパンデミックといえば中世ヨーロッパにおける「ペスト」またの名を「黒死病」の大流行です。

人口の3分の1が死亡し、中世ヨーロッパの社会を大きく変えていったこの厄災について調べて見ましたのでおつきあい下さい。

ペスト(黒死病)とはどんな病気?原因は

ペストはペスト菌による感染症です。

人がペスト菌に感染すると3~7日の潜伏期間を経て、インフルエンザに似た症状が出ます。突然に発熱したり、悪寒・頭痛・体幹痛、嘔吐、吐き気などが起きます。

ペストには腺ペスト、肺ペスト、ペスト敗血症の3種類があります。

ペストは極めて重篤な状況を引き起します。

肺炎となったとき有効な治療をしないと致死率が30~100%と高く、感染力も強く、エアゾル感染で人から人へと感染します

一般的な腺ペストでは、リンパ節が炎症を起こし疼痛がありますが、炎症が進行するとリンパ節が化膿し破れることがあります。肺ペストは最悪のペストで、腺ペストが進行して肺に広がることで起こります。

肺ペストはエアルゾルで人にうつり、治療しないと100%死に至ります。

ペスト敗血病は感染が血液を介して全身に広がった状態です。

皮膚のあちこちに出血班ができ、黒いあざだらけになって死亡するので「黒死病」(Black death)と呼びました。

ペスト菌は小動物、特にネズミやそのノミから発見されます。

 

 

 

 

人は感染しているノミに咬まれたり、感染したモノとの接触、細菌を吸い込むことで感染します。

ペスト菌はオセアニアを除くすべての大陸で発見されています。

ペスト(黒死病)の歴史は?

一番古いペストの記録は541年東ローマ帝国での大流行です。

ユスティニアヌス皇帝の治世で、皇帝も感染したことから「ユスティニアヌスの斑点」と呼ばれました。

元々、西アジアに存在していたペスト菌が、シルクロードの隊商により、エジプトにもたらされたといわれています。

エジプトからパレスチナ、コンスタンチノープルへと伝わり、東ローマ帝国、ヨーロッパ、中近東、アジアと60年間にわたり流行し続け、死者の数は数十万人に上りました。

流行の最盛期には、コンスタンチノープル毎日5,000人から1万人死者が出たといわれています。

ユスティニアヌス帝は奇跡的に回復しましたが、その後の軍事活動はできず、ローマ帝国の再建という悲願は放棄せざるを得なかったのです。

次は中世ユーロッパでパンデミックが起こりました。

11世紀14世紀の2回起こっていますが、どちらも軍事行動による人の移動が影響しています。

11世紀のペストは、十字軍の帰還船がクマネズミをペスト菌と一緒にヨーロッパに運びました。

このときは大規模なパンデミックにならず、エピデミックと呼ばれる地域的流行で済んだようです。

しかし、14世紀にはいるとヨーロッパ全土に広がる大流行が起こりました。

その背景には、モンゴル人がヨーロッパへ勢力拡大し、東西の交易が盛んになったことにあります。

1333年頃南ロシアで発生したペストは、小アジア、アラブ、アフリカへと伝わり、ガレー船(人力船)によって1347年イタリアのシチリア島メッシーナに上陸しました。

そこから一気にブレークし、即座にイタリア本土に拡散、翌年1348年にはドイツ、フランスに伝播、1349年にはイギリス、バルカン半島、北欧、ポーランド、ロシア、アイスランド、グリーンランドまでペストは猛威を振るい拡散していきました。

致死率を見るとイタリア・フィレンツェでは人口90,000人中40,000人強が、シエナでは90,000人中80,000人、ハンブルグでは60%、ブレーメンでは70%、パリでは18万人中5万人が亡くなり、住民は絶望のどん底に落とされ恐怖の日々をおくりました。

この14世紀のペストによるパンデミックではヨーロッパの人口の3分の1から3分の2の3500万人が死亡しました。

同時期の中国でも1500万人中近東では2400万人も死亡し、最大で8500万人死亡しました。

その後、ヨーロッパでは17~18世紀まで何度かペストは流行し1665年にはロンドンで10万人が死亡した「ロンドンの大ペスト」が起こりました。

 

 

 

 

 

1720年~1722年のマルセイユでの流行を最後に西ヨーロッパでのペストの大流行は最後となりました。

都市の防疫体制の整備や衛生状態の改善、クマネズミのペストへの抵抗力の獲得などによりペストによるパンデミックは見られなくなりました。

第三回目のペストによるパンデミックはアジアで起こりました。

1855年中国雲南省でペストが発生し、1894年には香港や広州に広がりました。

広州の死亡者は8~10万人といわれています。中国から海路でアジア、アメリカ大陸に広がりました。

インドでは1907年131万人の死亡が報告されています。

全世界では1903年から1921年まで1000万人が死亡したと推定されています。

これがペストによる最後のパンデミックでした。

ペストは日本には1899年(明治32年)、中国から伝播しました。日本に上陸して27年間で2,420人が死亡しました。

1926年以降は日本においては、ペスト患者は出ていません。

⇒(下)に続くhttp://shine-stone.site/pest-2/

参考:「ペスト」中世ヨーロッパを揺るがせた大災禍/加藤茂孝:「中世の秋」を生きた教会の希望/片山寛:国立感染症研究所HP:厚生労働省検疫所FORTH



コメント

  1. […] <史上最悪のパンデミック・黒死病、その歴史と現在は?(上)からの続き>http://shine-stone.site/pest-1/ […]