歴史好きの私は日曜夜のNHKの大河ドラマをよく見ます。2019年の「いだてん」は見ませんでした。ドラマの舞台がまだ歴史の域には入っていないので、あまり興味が湧かなかったのです。
2020年の「麒麟がくる」では戦国時代にもどり明智光秀が主役です。なにかと話題になった「麒麟がくる」ですが、新しい光秀像がどう描かれるのか楽しみですね。
2021年は「青天を衝け」で幕末・明治時代の渋沢栄一、2022年は「鎌倉殿の13人」で鎌倉時代のドラマが決っています。ですから、大河は平安・鎌倉、戦国、幕末・明治のサイクルに戻ったようです。
ところで、次の、次の幕末・明治時代の大河では是非とも描いていただきたい人物がいます。それは江藤新平です。佐賀の乱の首謀者として斬首された元司法卿です。
しかし逆賊といわれた明智光秀が大河の主人公になるのですから、次の幕末・明治の大河では、江藤新平でもいいのではないのでしょうか。
龍馬とは?’竜馬’を作った司馬遼太郎
幕末・明治維新の立役者で悲劇的な最後を遂げた人物を三人あげるなら坂本龍馬、西郷隆盛、江藤新平だと思います。
たしかに江藤の知名度は龍馬、西郷の足元にも及びません。
そもそも知名度というのがくせ者で、例えば坂本龍馬ですが、坂本龍馬に対する現代人が抱くイメージは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」が作り上げたといわれます。しかもこのイメージを否定するような有力な説はないそうです。なぜなら、人間・坂本竜馬を描いた資料はないからです。
龍馬の名前が世に現われるのは日露戦争の開戦直前に皇后の夢に龍馬らしき人が現われ日露戦争勝利の予言をしたというあやふやな話に過ぎないようです。
司馬遼太郎が作った龍馬のイメージとは「無私」「先見性」「行動力」「天性の明るさ」、そして「悲劇性」です。日本人はこれらの要素を好みます。これにミステリーが加わりますからベストです。
無類の交渉力で、薩長同盟を実現し、大政奉還から明治維新に至る大変革の道筋をつけ、維新直前の12月、何者かに暗殺された、この若き革命家はかくして伝説になり日本人の理想像になりました。
天才テクノラート・江藤新平の功績とは
しかし・・・私は、明治維新と言えば、わが郷土の奇才、江藤新平に想いを馳せます。
龍馬が明治維新の光り輝く存在であるとすれば、その対極の存在にある江藤新平は肥前八戸村、現在の佐賀県鍋島町に生まれました。私の故郷の隣町です。
坂本龍馬は1836年1月に生まれ1867年12月に逝きました。享年31歳。江藤新平は龍馬より2年早い1834年3月に生まれ1874年4月に40歳で刑死しました。
二人はほぼ同時期に生きましたが、たぶんその人生が交差することはなかったと思います。
龍馬が明治維新までの筋道をつけたとすると、維新以降、江藤は初代司法卿として天才的な能力を発揮し、司法・立法・警察・教育と近代日本の骨格を築きました。ある意味では龍馬以上の功績を上げたと言っていいでしょう。
しかし龍馬ほど現代人には親しまれていません。
近年、毛利敏彦氏の著書「江藤新平―急進的改革者の悲劇」「明治六年政変」(両方とも中公新書)をきっかけに、長く歴史に埋もれていた江藤の業績が再評価され、世の中に広がりつつあることは同郷人としてはうれしいことです。
江藤新平の死・理想主義者の悲劇
江藤のイメージと龍馬のそれを比較すれば決定的に違うのが、江藤の持つ、暗い暗いイメージです。これはどこから来るのでしょうか。
赤貧の少年時代、学問を唯一の武器として成り上がった経歴、佐賀人特有の妥協を許さない性格、その性格ゆえ藩閥政治の実力者山縣有朋や井上馨の不正に対し一切妥協せず追及し、やがて政府内で孤立、最後は政敵大久保利通の姦計に陥り反逆者として処刑されます。そのあまりの無残さか。
残されている写真をみると、おおらかな風貌の龍馬に対し、江藤は現代的で理知的な顔立ちをしており、土方歳三にも似た好男子です。ただし土方ほどの甘いマスクではなくどこか暗い影を宿しています。
幕末・浪漫の時代に革命家、思想家として活躍した坂本龍馬から遅れて表舞台に登場した江藤新平は、明治・実務の時代に近代最初のテクノラートとして天才的な腕をふるい、国の基礎を作り上げました。
「明治維新の現場に江藤が居合わせたのは奇跡だった」と毛利氏は書いています。
しかし、同郷の大隈重信のように清濁併せ呑む器用さも持ち合わせず、最後は自ら作った司法制度によって革命家として死にました。
のちの時代の日本人に親しまれるエピソードもあまり残さず、あっという間に歴史の舞台から退場しました。
龍馬を国民的英雄にしたてた司馬遼は、しかし、小説「歳月」でこの不器用だが無私で一途な心を持った理想主義者に対しても優しいまなざしをそそいでいるかのようです。
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