新聞記事によると、台湾高速鉄路股份(コフン)有限公司は日本の企業連合とすすめていた台湾新幹線、増備車両の調達交渉を白紙に戻し、再度、世界中のメーカーからの調達を検討するとのことです。
台湾高鉄は、旅客需要の伸びから増備車両12編成144両の調達を決め、国際入札を実施しました。
しかし、応札したのは、日本からの日立・東芝連合のみだったため、価格交渉を行っていましたが、高鉄の希望価格と入札価格の隔たりがあまりに大きかったといいます。
現在の台湾新幹線は700Tといって日本の新幹線700系の改良型ですが、日本ではすでに、N700系、N700A、N700Sと進化し、700系は3世代前の車両です。
日立・東芝連合は、700Tの車両制御装置やATC・ATOなど重要機器が生産中止になっているためN700S系で提案したのですが、そうなると開業時と同様の開発作業が必要で、しかも両数も144両と比較的少ないなどの理由から高額になったのでしょうか。
開業時は、新幹線を海外に、しかも親日国の台湾に走らせるという大きな情熱が日本の官・民にもあったのですが、今回はその熱量も少ないように思えます。
しかし、もし台湾新幹線が将来すべて海外メーカーの車両に変われば、日本・台湾の友好の象徴である台湾新幹線は消えて無くなり、非常に残念な事になります。
そこで、今の台湾新幹線はどのように日本の企業連合が受注し納入したのか、振り返ってみたいと思います。
台湾新幹線の逆転受注
台湾新幹線計画は、台湾(中華民国)の政治・経済の中心である台湾最大の都市台北と工業都市であり台湾第二の都市である高雄の間、約345kmを高速鉄道で結ぶというものでした。
台湾島の人口が多い西海岸沿いを、最高速度300km/hで走り、最短90分で結びます。
1989年、台湾政府部内で高速鉄道建設が計画され、翌1990年、中華民国政府交通部に「高速鉄路工程準備処」が設立されます。(後に「交通部高速鉄路局」(BOHSR:Bureau Of High Speed Rail)に改変)
1993年、立法院は、高速鉄道建設は認めるものの、莫大な資金問題から国家プロジェクトとしては否決したため、政府は民間の力を借りたBOT方式(Built, Operate and Transfer:一定期間後政府が買い取る方法)に変更し、事業者を公募します。
手を挙げたのは、中華開発を中核とする中華鉄道連盟と大陸工程、長栄集団などが結集した台湾高鉄連盟の2グループでした。
日本の企業連合(後のTSC:Taiwan Shinkansen Consortium)は中華鉄道連盟の下で川崎重工業、三菱重工業、東芝、三井物産が参画して新幹線システムを提案し、欧州のドイツ・シーメンス、フランス・アルストム連合は台湾鉄道連盟の下でユーロトレイン(ICEの機関車と2階建てTGV客車によるプッシュプル方式)を提案しました。
1997年9月、台湾高鉄連盟が優先交渉権を取得、欧州連合提案のヨーロッパシステムで検討することが決定します。
理由はコスト差と台湾政府のフランス政府への配慮があったとも言われました。当時台湾は米国から戦闘機を購入できずフランスに頼っていたという事情がありました。
日本側は、この時点では、初めての新幹線輸出は夢に消えたかと落胆しました。
しかし1998年1月、ヨーロッパシステムを担いでいたはずの台湾高鉄連盟の要請で日本連合は新幹線システムのプレゼンテーションを行っています。
この事実は、何を意味するのでしょうか?
憶測されるように日本の親台派政治家による台湾や高鉄側への働きかけがあったために、台湾高鉄連盟は新幹線システムの再検討を始めたのでしょうか。
6月、ドイツでICEが走行中、脱線し橋脚に激突、101人の死者を出す大惨事を起こします。
これにより、台湾の関係者の間にヨーロッパシステムへの不安が高まり、開業以来死亡事故を起こしたことがない新幹線への関心が高まります。
7月、台湾高鉄連盟は政府と事業権契約を締結すると台湾高速鉄路股份有限公司(Taiwan High Speed Rail Corporation)に改組します。
日本連合は逆転受注を目指し、高鉄側へ、台湾と日本の地理的類似性や台風・地震対策、高密度大量輸送での新幹線の優位性、開業以来乗客死亡事故がないことなどを訴え交渉を重ねます。
1999年2月、欧州連合に、4月には日本連合にも高鉄からInvitation to Tender(入札依頼書)が届きます。
9月21日、台湾中部大地震が起こりました。死者2415人、負傷者11306人、行方不明者29人で台湾では20世紀最大の地震でした。
このこともまた地震国日本で運行する新幹線の採用に有利に働きました。
12月3日、日本連合、欧州連合ともBest And Final Offerを提出します。
そして、28日、ついに台湾高鉄は日本連合にコアシステム(車両・信号・通信など)の優先交渉権を与える決定をしたのです。
2000年6月、日本連合と台湾高鉄はMemorandum of Understanding(MOU)に調印、日本側の受注が内定します。
これに対し欧州連合は台湾高鉄と交わされていたとされる契約破棄の損害賠償訴訟を起こしますが、後に和解金を支払うことで決着します。
台湾高鉄は欧州連合に違約金を払ってまで新幹線の調達に踏み切ったのです。
12月、日本連合7社(川崎重工、三菱重工、東芝、三井物産、三菱商事、丸紅、住友商事)が設立した台湾新幹線株式会社(TSC:Taiwan Shinkansen Corporation)と台湾高鉄は東京都内で正式契約を調印し、台湾で新幹線が走ることがついに決定しました。
一方、軌道工事は三菱重工を中心とし、TSCやゼネコンで結成した台湾軌道工事連合(TSTJV:Taiwan Shinkansen Track Joint Venture)が全5工区の内、4工区を2002年に契約します。
また車両と信号のメンテナンスについても、TSCメンバーを中心に設立された台湾新幹線メンテナンス株式会社(TSMSC:Taiwan Shinkansen Maintenance Service Corporation)が2006年に台湾高鉄と2009年9月まで実施する契約を締結しました。
台湾新幹線の製造分担
コアシステムの受注総額は3000億円を超え、当時の鉄道プロジェクトとしては、我が国史上最大のプロジェクトとなりました。
コアシステムでのメーカーの役割分担はつぎのとおりでした。
車両・・・川崎重工
車両制御装置・運行管理システム・変電設備・・・東芝
信号・通信・電車線・・・三菱重工
車両は1編成12両で、全体で30編成、360両を製作しました。
川崎重工が168両製作し、国内の700系製作メーカーである日本車輌に104両、日立製作所に88両、川崎重工から下請け発注をしています。
また台車については各社が住友金属(現日本製鉄)に一部制作依頼していますので、文字通り鉄道車両業界をあげてのプロジェクトとなりました。
海外向け新幹線製作の難しさ
台湾新幹線は、日本側にとっては、日本の700系をほとんどそのまま輸出できると考えていたのですが、実際にプロジェクトがスタートすると多くの問題に直面しました。
台湾側の基本姿勢が純粋な新幹線の導入でなく、台湾の風土、習慣、環境等に最適なシステムを望んだのに対し、技術支援を行うJRは開業以来死亡事故ゼロの新幹線システムをほとんど変えることなく台湾に移植するという姿勢だったため、いろいろな場面でぶつかり、プロジェクトの遂行を妨げました。
新幹線導入決定の時点では、土木、分岐、トンネルなど欧州仕様で発注され設計も完了しており、入札仕様書も欧州仕様のままで、700系新幹線では満足できない仕様が多く含まれていましたのでJRは工事に着手していた土木仕様まで口をはさみ高鉄との関係がギクシャクしたりします。
さらに台湾高鉄は欧州システムを前提として、欧米のエンジニアを多数採用していましたので、新幹線導入の決定後も、ユーロッパシステムにこだわりがあり、契約履行やプロジェクト運営面でも欧米人のやり方で行われました。
例えば技術打ち合わせなども厳密に管理され、日本流のオープンで率直なコミュニケーションが難しい状況などもありました。
しかも新幹線システムについて全く知識の無いエンジニアが多く、日本連合は基本から説明することを要求されたり、当初の仕様書を真意よりも字面を厳格に守ろうとして、コミュニケーション上の齟齬もあり多くの時間がかかりプロジェクトはスムーズに進みませんでした。
また日本と欧米の安全、品質管理など技術基準の考え方の違いも表面化します。
例えば事故対応では、日本では事故を起こさないことに対策の多くを取るのに対し、欧米では事故を起こった場合の対策に重点を置き、高鉄側は700系よりも高い強度や異常時対応システムを要求し、日本側を困惑させました。
さらに一つ一つの設計プロセスの明確化、経験・勘を排除した設計根拠の妥当性の証明が要求されました。
わかりやすい例をあげると、ブレーキをかけるときに、日本はハンドルを向こうに押しますが、それはブレーキをかけると慣性の法則で運転手が前のめりになるので、その方向に反しないようにするために決められたことです。しかし欧米ではハンドルを手前に引きます。
これは乗馬の際に手綱を引くということに由来しているのですが、台湾新幹線の仕様書ではその方式が決められておらず、双方の主張は対立しますが、最終的には運転に関する教育ができないという日本側の主張が通り日本式が決ります。
また押しスイッチの場合、ボタンを押した後、指を離した後もON状態を継続する「オルタネイト型」は日本では普通に使われていますが、オルタネイト型では運転手が瞬時にオン・オフのどちらにあるか判断できないと認められずツマミ型のスイッチを強く要求されました。
このような議論が根気強く続けられ、700T新幹線の仕様が決定していきました。
納入・営業運転まで
台湾新幹線の第1編成は、契約調印から4年後の2004年6月に納入されます。
納入に先立ち、2004年1月30日 製造メーカーの川崎重工で、第1号車両のロールアウト・セレモニーが開催され、台湾側から日本の首相にあたる立法院院長、台湾高鉄の殷琪(インキ)董事長、扇国土交通省大臣、JR各社社長、TSC各社のトップが出席しました。
1972年9月29日に日本と台湾が国交断絶して以来初めて、台湾の国旗「青天白日満地紅旗」が日本国内で公式に掲揚され、神戸の冬の空にたなびきました。
まさに台湾新幹線は日本・台湾の友好の象徴とされたのです。
その後、順調に納入されていき、360両完納したのが2005年10月で、2007年2月1日営業運転が始まりました。
台湾新幹線、日本が初めて輸出した新幹線とは?・まとめ
700T台湾新幹線は台湾という国土、習慣、環境等に最適なシステムとして、初めて世界基準の新幹線に改良され、輸出された記念すべき新幹線です。
JR東海、JR西日本の支援の下で、日本の企業連合が結集して成し遂げた国家プロジェクトとも言えます。
その後の日本企業による高速鉄道の輸出は、川崎重工業がJR東日本の支援の下、中国にE2系新幹線を輸出しましたが、そのほかに広がってはいません。
同社はこのことでJR東海の不興を買い、N700Aの製作以降、取引を停止され、今回の台湾新幹線商談にも参画できていません。
その台湾新幹線の増備車両商談が頓挫しているのは非常に残念なことで、最悪の事態となり欧州製の高速鉄道が取って代わるならば日本の鉄道界にとって大きな打撃となります。
情報では日本側のオファー価格は直近追加価格の2.6倍といわれていて、それが本当であれば台湾側の不満は当然でしょう。
ただ日本の企業側の事情があるようにも思えます。
憶測すれば、日立は開業時の契約メンバーでないため台湾新幹線の開発経験がなく、東芝は会社再建途上でリスクをとれない、開業時の主力メンバーで高鉄側を熟知している川崎重工はN700S開発から外されているなどということから相当高額なオアファーとなったのではとも考えられます。
また現有車両の部品の供給を日本側が製造中止して供給しないというのは本当でしょうか。
部品の供給については通常、契約で供給年限が規定されており、年限が来る前にはアラームが発せられるため在庫を持つはずです。
オファー価格にしろ、部品供給にしろ、真実はどこにあるのでしょうか。
いずれにしても台湾新幹線がいつまでも日・台友好の象徴として走り続けるために、関係者は努力してほしいものです。
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コメント
新幹線受注の経緯がわかりやすく書かれている。