日本5大昔話というと、「桃太郎」・「花咲爺」・「舌切り雀」・「かちかち山」・「猿蟹合戦」ですが、これに入らない「浦島太郎」こそ、「風土記」や「日本書紀」、「万葉集」にも記載され、千数百年以上前から伝えられてきた日本最古の昔話といえるでしょう。
私たちが幼い頃から知っている「浦島太郎」は次のような物語です。
「昔々浦島太郎という漁師が、浜で子供たちにいじめられている亀を助けてやると、数日後、釣りをしている浦島のところにその亀がやってきて助けてくれたお礼にと、背中に乗せ海の中の竜宮城に連れて行きます。
竜宮城では乙姫が浦島にお礼を述べ、来訪を喜んで毎日いろいろなごちそうを出したり踊りを見せたりしてもてなします。
浦島は時間が経つのも忘れて楽しんでいましたが、やがて家に帰りたくなり乙姫においとましたいと申し出ます。
乙姫は引き留めますが、浦島がどうしても帰りたいというので、どんなことがあっても開けてはだめですよと念を押して玉手箱を渡すのです。
浦島は再び亀の背中に乗り、故郷の村に帰りますが、村はすっかり変わり両親も亡くなり家もなく知っている者も一人もいませんでした。
浦島は悲しくてたまらず乙姫との約束も忘れ玉手箱を開けると、箱の中からぱっと白い煙が出てきて浦島はたちまち白髪のおじいさんになってしまったのでした。」
この有名な昔話は、明治時代に、国定教科書に掲載されて子供たちに教えられ、「むかし、むかし、うらしまは~」という児童唱歌とともに日本国中知らない者はいないまでに普及します。
しかし、この浦島太郎の物語の源流をたどると、奈良時代の「浦島子(うらしまこ)伝説」にまでさかのぼり、現代までの千数百年もの間、時代時代に変貌を遂げながら連綿と伝えられてきた伝承であったことがわかります。
「浦島子伝説」とはどういうもので、どのような変遷をへて現在の浦島太郎の物語となったのでしょうか。
丹後国風土記の「浦島子(うらしまこ)伝説」
「浦島子伝説」を伝える古代の文献は、奈良時代に編纂された「丹後国風土記」、「日本書紀」、「万葉集」で、そのうち最古のものが「丹後国風土記」です。
丹後国風土記自体はすでに散逸し存在しないのですが、一部分が鎌倉時代末期に編纂された「釈日本紀」に引用されて残っているものでこれを「丹後国風土記逸文」と称しています。
丹後国風土記では浦島子の話は当時の代表的文化人で丹後国の国司を努めた伊予部馬養(いよべのうまかい)(658~702)の記録に違うことなしとことわっていて、風土記以前に馬養の文献が存在したことを示唆しています。
風土記によると、丹後国与謝群の筒川村、日下部首等(くさかべのおびと)の先祖である水の江の浦の嶋子が雄略天皇の御代に小舟で海に出て、3日3晩釣りをしますが、魚は一匹も釣れずただ5色の亀がかかりました。
嶋子はおかしいなと思いながら舟で寝ていると亀は美しい娘に変わります。
娘は、「私は神の娘です、素敵な男性がいたので風と雲に乗ってきました。結婚して常世の国に行きましょう」と誘うので嶋子も娘に惹かれて目を閉じるとあっと言う間に遠い海上の島に着きます。
常世では娘の両親や兄弟姉妹たちが迎え、盛大な歓待をされて2人は夫婦となります。
しかし神の国で元の生活を忘れて歓楽を満喫ながら3年も過ごすと、嶋子は故郷と両親が懐かしくなり、1度帰りたいと申し出ます。
娘は涙を拭い、美しい櫛笥(くしげ)を渡し、またここに戻りたいなら絶対に開けないようにと言います。
ところが故郷に帰ってみるとすでに300年以上が過ぎて両親にも会えず、嶋子は悲嘆にくれ、娘に会いたくなり、約束を忘れて箱を開けてしまうのです。
すると箱から湧き出た雲とともに、蘭のようなかぐわしい娘の身体が遠くの空に飛び去ってしまい、嶋子はもう娘と会えないことを知ります。
嶋子は泣きながら、「常世まで続く雲よ、私の言葉を娘に伝えてくれ」と和歌を詠むと、遠くから娘はやさしい声で、「いつまでも私を忘れないで」という歌を返します。
嶋子は恋しさに耐えられず、さらに、「あなたの住む常世に打ち寄せる波の音は聞こえるのにあなたはいない」と歌うのでした。
後世の人は「水の江の浦の嶋子が美しい櫛笥を開けなかったらまた娘と会えたのに悲しいことだ」と歌いました。
日本書紀の浦島子伝説
丹後風土記より後に編纂された日本書紀では、風土記より表現を少し変えて簡潔に浦島子伝説を記述しています。
「雄略天皇22年(478年)7月、丹波国の余社郡管川の人、瑞の江の浦の嶋子が舟に乗り釣りをしているとかかったのは大亀でした。
亀はたちまち乙女となり、嶋子はすぐに女に夢中になり妻にします。
そして2人で一緒に海に入り蓬莱山に着くと仙人たちを尋ねました。
詳しいことは別の本に書かれています」として詳細を他書に委ねています。
書紀では嶋子を「丹波国の余社郡管川の人、瑞の江の浦の嶋子」と書いています。
「丹後国」でなく「丹波国」としていますが713年(和銅6年)に丹波が丹波と丹後に分割される以前に書かれたものと考えられるほか余社郡は与謝郡、瑞の江は水の江のことでしょう。
「別の本」が何なのかは明確にしていませんがおそらく「丹後国風土記」で述べている伊予部馬養の記録と思われます。
万葉集の浦島子伝説長歌
万葉集には、8世紀前半の歌人、高橋虫麻呂による「水の江の浦の嶋子を詠む一首」と題して長歌と反歌が載せられています。
「私が摂津の住吉の浜辺で釣り船を見ていると昔の事が偲ばれる」として長歌を詠みます。
「かつて水の江の浦の嶋子が堅魚(かつを)や鯛がよくとれるので得意がって7日も漁を続け、海の境を越えてしまい偶然に海神の娘に出会うのです。
2人はたちまちに惹かれあい、夫婦の契りを結びます。
2人で常世の国に赴き、海神の宮殿にはいり、年もとらず死にもしないで共に過ごします。
ところが世にも愚かな嶋子は、家に帰り父母と話しをしてまた戻って来たいと娘に告げると、娘はまた常世にもどり私に会いたいならこの櫛笥を開けないようにと言って渡します。
しかし嶋子が故郷に帰ると3年しか経っていないのに家も見つからず、この櫛笥を開けたらもとの家が見つかるのではないかと思い、少し開いてみると白雲が立ち出てきて常世の方角にたなびいていきます。
嶋子は叫び転んで気絶し、肌もしわだらけ頭も白髪となって、ついには息絶えて死んでしまいました。
そのように伝えられている水の江の浦の嶋子の家のあったところが見えます」
反歌として虫麻呂は続けます。
「常世の国に住んでいられたのに、自分の心からとはいえ愚かな人だ、この人は」
古代の「浦島子伝説」の特徴
以上のように古代の「浦嶋子伝説」のストーリーは現代の浦島太郎の物語とは大きく異なっています。
まず、主人公の名前は浦島太郎でなく、嶋子という人物です。
水の江は嶋子が住んでいたと思われる地名のようですがどこか定かではありません。
また「浦」は入り江になっている浜辺のことなので、水の江の浦の嶋子とは水の江というところの浜辺に住んでいた嶋子という人ということになります。
また嶋子は子供にいじめられている亀を助けた訳ではなく、亀は神の娘が変身した姿ですが、万葉集では亀は出てきません。
嶋子と神の娘は海で出会い、お互いに惹かれあい娘の住む常世の国に行きますが、とくに風土記では娘のほうが姿形のいい嶋子を見初めて積極的に求愛しています。
嶋子が連れて行かれた場所は風土記では「海中」、書紀では「海に入りて」と書いていますが海に浮ぶ島ととるべきで海底の竜宮城ではなく、常世の国(蓬莱山)でした。
嶋子が海神の娘から預かった櫛笥を開けた時に風土記と万葉集では真逆の事が起こります。
丹後風土記では櫛笥には娘の魂が入っており、嶋子がうっかり開けたると娘の魂は常世の国に飛び去り、嶋子は娘に再び会うことができず悲嘆にくれ、「せめて自分の思いを雲が運んでくれ」と歌うと娘も常世の国から「いつまでも忘れないで」と歌を返すのでした。
丹後風土記の浦島子伝説が恋愛物語と呼ばれる理由です。
しかし、万葉集の虫麻呂の歌では、嶋子は箱を開けたとたん肌もしわだらけになり、頭も白髪となって気絶しついに死んでしまいます。
ここは現代の浦島の結びに似ていますが、高橋虫麻呂は少々残酷な浦島の最期を描き、嶋子を愚か者と嘲笑することにより、せっかく不老不死を手に入れたのに神との約束を破りすべてを失った愚かな男と批判するのです。
そこには風土記のおおらかなロマンスというより虫麻呂の不老不死への強い願望が勝っているようです。
いずれにしろ古代の浦島子伝説は、日本古来の常世の国という理想郷信仰と中国の蓬莱山を象徴とする神仙思想と不老長生への願望が混合してできあがった物語と言えます。
浦島子伝説の変貌・御伽草子
浦島子伝説は、中世の室町時代に作られたと言われる「御伽草子」により大きく変貌します。
「昔、丹後の国に浦島という者の子、浦島太郎という24、5歳の男がいて魚をとって父母を養っていました。
ある日、亀を釣り上げますが、「鶴は千年、亀は万年というので、殺すのはいたましい。この恩は忘れないように」と言い逃がしてやります。
次の日、浦島は海で小舟に乗って漂流している美しい女と出会います。
女は泣きながら本国に送ってほしいというので、浦島は哀れと思い10日もかかって女の国に着くと、誘われるままに女と夫婦になります。
竜宮城は四方が四季の景色のそれは美しいところで、楽しい日々はあっという間に3年過ぎます。
浦島は父母のことが気になり一度帰りたいというと、女は泣きながら「私は助けてもらった亀です、ご恩を返すため夫婦になったのです」と打ち明け、「決して開けないでください」と言って形見に美しい箱を渡しました。
ところが浦島が故郷に帰ると700年も過ぎていて自分の墓までありました。
浦島は悲しさの余り、玉手箱を開けるなと言われていたが今やどうしようもないと思い、ついに開けてしまったことは悔しい事です。
すると箱の中より紫雲が3すじ立ち上り、浦島はたちまち変わり果ててしまいます。
そのあと浦島は鶴となって空に飛びましたが、女が浦島の歳を箱の中にたたみ込んでくれていたので歳をとらなかったのに開けてしまったのは道理がないことです。
そもそも恩を受けてそれに報いないのは木や石と同じですし、情の深い夫婦は2世の契りがあるというようにありがたいことで、浦島は鶴となって蓬莱山で女の亀と再会し愛し合うのでしょう。
ですからめでたいことを鶴亀というのです。
そのあと浦島は丹後国の明神となり亀も同じく神として現われ夫婦の明神となったといわれ、まことにめでたい話です。」
御伽草子の主人公は、「水の江の浦の嶋子」ではなく、浦島という人物の子である「浦島太郎」でした。
ここで初めて私たちが親しんでいる「浦島太郎」が登場したのです。
「太郎」は、同じく御伽草子に登場する桃太郎、金太郎のように武家社会での典型的な男子の名です。
浦島が亀を助けた恩返しとして変身した美女は竜宮城に連れて行きますが、竜宮城の名も、玉手箱という言葉も初めて出てきます。
御伽草子では古代の浦島子伝説の基調である神仙思想は影をひそめます。
武家社会という時代背景から「ご恩と奉公」といった封建制度の倫理観が色濃く反映され、「鶴の恩返し」や「舌きり雀」などに見られる動物の報恩説話的な物語に変わります。
女が何回もさめざめと泣き、浦島が情にほだされる姿には古代のおおらかな男女平等の恋愛模様というより、女性の地位低下による「夫唱婦随」といった姿がうかがわれるようです。
一方、浦島は玉手箱を開いていったんは老人になったものの、やがて鶴となって復活し、鶴と亀が夫婦となるというハッピーエンドは、ほかの昔話と同じように、当時台頭しつつあった庶民層の感情に応えたものでしょう。
現代版・浦島太郎の完成
御伽草子は江戸時代に入ると町民文化の隆盛とともに「草双紙」の名で広く流布し、浦島の物語も大筋は保ちながらいろいろなバリエーションを加えて普及していきます。
その中で、赤色の表紙で絵を主とした子供向けのおとぎ話集を「赤本」と呼びます。
また柳亭種彦の「むかしばなし浦島ち̏ち̏い」、為永春水の「浦島一代記」など大人向けの滑稽と洒落を基調とした浦島も数多く書かれました。
近松門左衛門も浄瑠璃の「浦島年代記」を書き、竹本座で義太夫が演じましたが、これらの本は当時「黒本」または「青本」と呼ばれました。
こうして浦島伝説は古来の伝承からかけ離れながらも、江戸の大衆文化の中で連綿と伝えられていきます。
明治時代に入ると、児童文学者、巌谷小波(いわやさざなみ)は赤本を参考に「日本昔噺」を書きます。
巌谷小波の「浦島太郎」は赤本に似て軽妙な語り口の物語です。
「昔、丹後の国水の江に浦島太郎という漁師がいました」で始まりますが、
例えば、亀が男になって現われる場面では、浦島の「おい、亀さん、今呼んだのはお前かえ」という問いに、「へい、私でございます。昨日はお陰さまで命拾いをいたしまして・・・」と亀が答えます。
乙姫が浦島を出迎える場面では、「これは、浦島様、ようこそおいで下さいました。昨日はまた亀児の命をお助け下さいまして・・・」と礼を言うのに対し、浦島は「いやどうも有り難い事で・・」などと答えます。
竜宮城を去る際には、浦島が「どうも長々お世話になりました・・・」というと、乙姫は「まあ、あなたよいではございませんか。もう一泊泊まっていらっしゃいな」と引き止めます。
落語の熊さん八っつあんの掛けあいにも似てくだけた会話です。
小波は1906年(明治39年)、文部省図書課の嘱託になり、国定教科書の編集に参画しているので自身の「浦島太郎」を教科書用にリメイクしたのは間違いないと思われます。
ちなみに、巌谷小波は尾崎紅葉の「金色夜叉」の主人公、間貫一のモデルであり、小波を裏切った料亭の女中を親友の紅葉が激怒して足蹴にしたという出来事が熱海海岸での名場面となったとも言われています。
こうして、私たちが知っている浦島太郎の物語は1910年(明治43年)に発行された第二期国定教科書の尋常小学校読本に掲載された「うらしま太郎」で完成します。
これをもとに翌1911年(明治44年)の尋常小学校唱歌「浦島太郎」が作られました。
浦島太郎の物語は国定教科書で子供たちに教え込まれ、また児童唱歌として歌われたことで、全国津々浦々に普及したのでした。
浦島伝説とは?その起源と変遷・まとめ
ここまで浦島伝説の源流と変遷を見てきました。
私たちが知る浦島伝説はこのように古代、中世、近代と変貌を遂げながら現代まで伝わったのでした。
浦島譚がいつまでも私たちを魅了し続けるのは、私たちの理想郷へのあこがれ、不老不死に対する強い希求を、束の間にかなえさせてくれるところにあるのは間違いないでしょう。
一方、話の最期には浦島が玉手箱を開くと、愛する女性と別離したり、老いさらばえてしまうという理不尽な結末を用意し「会者定離」・「生者必滅」という避けられない宿命をかかえて生きる私たちを現実世界に立ち返らせるのです。
このアイロニーもまた私たちを惹きつけるのかもしれません。
参考文献:古代社会と浦島伝説/水野祐、よみがえる浦島伝説/坂田千鶴子
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