ヴァン・ダイン「推理小説作法二十則」とは?現在の視点での是非は?

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ヴァン・ダインは、20世紀初頭、衰退していた米国推理小説界に、名探偵ファイロ・ヴァンスを擁して登場し、大傑作となった「グリーン家殺人事件」と「僧正殺人事件」をはじめ12編の作品を残し、米国のみならず世界の推理小説に大きな影響を与えました。

ヴァン・ダインは作品を書くに当たって、2000冊に及ぶ推理小説を読破し、分析していますが、「推理小説は知能的ゲームであり、スポーツ種目である」とし、「作者は読者に対してフェア・プレイであらねばならない」と結論づけました。

そして、「推理小説には明確な法則があり、自尊心のある謎解き物語の作者はその法則を遵守しなくてはならい」として「推理小説作法二十則」を発表しています。

その内容は、今から100年近く前の考えですから、あまり当てはまらない法則がある一方、現在でも推理小説の基本ルールとして納得がいくものもあります。

以下、「推理小説作法二十則」を私のコメントとともに紹介します。

1.事件の謎を解くすべての手がかりは、明白に記述されてなくてはならない。

推理小説は、読者にとって「犯人が誰かを推理する」という目的があるので、記述されていない手がかりがあると探偵と読者は平等でなくなります。従って基本中の基本のルールです。

しかし、中には探偵の最期の種明かしで、読者が「えっ」と叫んでしまうような曖昧な前振りはよくあります。

2.犯人や探偵に対し仕掛けるもの以外に、読者をペテンにかける記述をしてはいけない。

少々わかりにくい表現ですが、作者が読者を騙すような記述をしてはならないという意味でしょうか。

ヴァン・ダインはアガサ・クリスティーの「アクロイド殺人事件」をアンフェアとして批判していました。この項目は、まさに「アクロイド」を想定したものでしょう。

 

 

 

しかし「アクロイド殺人事件」は結論が衝撃すぎで、読者には騙され感はないですね。

 

3.物語に恋愛的な興味を添えてはならない。課題は犯人を正義の庭に引き出すことで、筋違いな情緒は知的実験を混乱させる。

謎解きより「恋愛」に重点を置きすぎると、話が複雑になり問題でしょうが、謎の女性などが登場して探偵役の主人公との関係の行方が、物語に花を添えるのは現代の推理小説ではよくあります。

また事件の原因が悲恋の結果とか恋人が殺されたためというのは、このルール適用外でしょう。

4.探偵自身、あるいは捜査員の一人が突然犯人に急変してはいけない。

「これは厚顔の詐術だ」ともいっています。もっともな主張ですが、有名どころではクイーンの名作にありますね。

手がかりをフェアに読者に公開し、納得のストーリーであればいいのではと思います。

5.犯人は論理的な推理によって決定されなければならない。偶然や暗合、無動機の自供によって決定されてはならない。

読者が謎を解明しようとする努力が無駄になりますから同意です。

6.推理小説には、必ず探偵が登場して、手がかりを集め分析して、犯人を突き止めなければならない。

基本です。犯罪小説との違いでしょう。

7.推理小説には死体が絶対に必要である。殺人以下の小犯罪に300ページを割くのは大げさ過ぎる事になる。

確かに長編推理小説では言えますね。

「赤毛連盟」「青い紅玉」「まだらの紐」などシャーロック・ホームズの短編では、死体は出てきませんが傑作ばかりです。

8.犯罪の謎は自然な方法で解決され、占い、読心、降霊、心霊術などを用いるのは禁忌である。

読者は合理的推理でのみ探偵と知能を競うことができ、探偵がスピリチュアルを利用して解決したら推理小説になりません。

9.探偵は一人だけであるべき。ひとつの事件に複数の探偵が協力し合って解決するのは推理の脈絡を分断するばかりでなく、読者に対して公平を欠く。

最近の複数の人間がチームで活動する刑事物でも、主人公は一人でないと、ストーリーが分散して読みにくいのは間違いありません。

しかし、読者に対してアンフェアとなってしまうというのは情報がすべて公開されるならば当たらないかも知れません。

10.犯人は重要な役を演ずる人物でなくてはならない。最後の章に端役で登場した人物に罪を着せるのは、作者の無能を告白するようなものである。

これは納得ですね。読者が気にもとめない役柄の人物が犯人だったら事件はぶち壊しになります。

11.使用人等を犯人にするのは、安易な解決策で読者に不満感を与える。そのレベルの人物が犯す犯罪をわざわざ本の形までする必要はない。

10項と同様確かにその通りですね。

12.多くの殺人事件があっても、犯人はただ一人でなければならない。

しかし、一つのストーリーで、3件の殺人事件があって犯人が別々であるというトリックはあります。

13.秘密結社、カモラ党、マフィア党(ともにイタリア犯罪集団)等は推理小説に持ち込んではならない。冒険小説やスパイ・ロマンスになる。

推理小説の犯人をそのような集団に属させることは、犯人に集団的保護を与えることになり、推理小説にはそぐわないということでしょうか。

しかし、松本清張の社会派推理小説にはよく出てきます。私はむしろ、「事件の影にうごめく謎の集団」という設定は好きですね。

14.殺人の方法と、それを探偵する手段は合理的で、しかも科学的であること。えせ科学、あるいは作者だけが想像する未知の毒物を使ってはいけない。

一般的に認知されていない科学や薬物などを使って事件を起こしたり解決されても、読者は白けて、三流小説の評価となります。

15.真相は終始一貫して明白でなくてはならない。解決できる手がかりをスポーツマンシップと誠実さをもって全て読者に提示しておかなければならない。

ヴァン・ダインは、長い文章でこの項を書いていますので一番強調したい事項なのでしょう。

それは「スポーツマンシップ」という言葉にも表れて、そこに推理小説の妙味があると言っています。

16.よけいな情景描写や、わき道にそれた文学的な饒舌、精緻を極めた性格分析はあってはならない。

ここの項も、ヴァン・ダインは長い文章で説明しています。

「そのような表現は犯罪の記録と推理には重要な地位を占めていない」といいます。

しかし、正直,私は「えっ」と思いました。

ヴァンスが全編で披露するペダンテックな文学や美術についてのウンチクこそ、ヴァン・ダインの小説の特徴なのですが、このレベルまでは許されるのでしょうか。

17.職業的犯罪者を犯人にするのは避けること。押入強盗や山賊は警察の領分。真に魅力ある犯罪は教会の重鎮や慈善事業の夫人などによって行われる。

優れた推理小説には、魅力的な犯罪者を創造しなければならないということで納得です。

18.事件の結末を事故死とか自殺で片付けてはいけない。こんな竜頭蛇尾ならば許せない欺瞞である。

事件の真相が、実は事故死や自殺だったというのでは確かに失望します。

「本代と時間を返して」と読者に言われても仕方がありません。

19.犯罪の動機は個人的なものでなくてはならず、国際的な陰謀とか政治的な動機はスパイ物語に属する。

ヴァン・ダインは「推理小説の犯罪動機は個人的なものでなくてはならない」、「殺人物語には心情が含まれていなければならない」とします。

しかし現在は推理小説とスパイ小説の境が曖昧になっていて異議ありというところです。

20.自尊心のある作家なら、次のような手法は避けるべきである。これらは既に使い古された陳腐なものである。

・犯行現場に残されたタバコの吸殻と、容疑者が吸っているタバコを比べて犯人を決める方法
・えせ降霊術で犯人を脅して自供させる
・指紋の偽造
・替え玉によるアリバイ工作
・番犬が吠えないので、侵入者は馴染みのあるものだったとわかる
・双子や瓜二つの近親者の替え玉
・皮下注射や即死する毒薬の使用
・警官が踏み込んだ後での密室殺人
・言葉の連想実験による犯人の指摘
・最後になって探偵が解読する暗号

確かに、陳腐化された手法ではありますが、使い方しだいと思います。

例えば、江戸川乱歩の傑作「心理試験」「言葉の連想実験による犯人の指摘」に当てはまりそうですが、いかがでしょうか。

ヴァン・ダイン「推理小説作法二十則」とは?まとめ

以上、「ヴァン・ダインの推理小説作法二十則」について、私の勝手なコメント付きで紹介しました。

見てきたように、現在からの視点では、定める必要もない項目もありますし、このルールについて、的外れでくだらないと批判する人もいます。

故意にルールに反する立て付けの名作もたくさんあります。

アガサ・クリスティーの「アクロイド殺人事件」も議論はあるものの古典的傑作であることは間違いありません。

しかし、第14項から18項までなどは現在でも納得がいくルールです。

ヴァン・ダインの「推理小説作法二十則」は、推理小説が書き続けられる限り、今後も創作指針の一つとして引用され続けるのではないでしょうか。

なお、ヴァン・ダインの「推理小説作法二十則」は、東京創元社の創元推理文庫「ウインター殺人事件」に付録として掲載されていますが、現在同書は廃版となっていて古本でしか入手できません。

東京創元社ではヴァンダインのシリーズの新訳作業が進行しています、全12編のうち「ウインター殺人事件」は最期の作品なので、新刊が発行されるのは、ずいぶん先になるのでしょうね。



 

コメント

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