ブレグジット・イギリスのEU離脱はなぜ?世界への影響は?(上)

時事

2020年2月1日午前0時イギリスEU(欧州連合/ European Union)を離脱し、ブレグジット」(Brexit/British-exit)が現実のものとなりました。

イギリスは、1973年に加盟して以来、47年間のEUとの関係にピリオドを打ったのです。

2016年6月23日国民投票の結果、イギリス国民の半数以上が、とは言っても51.9%ですが、EU離脱に賛成しました。

最後に残ったアイルランド共和国北アイルランドの国境問題が一応の決着をみて、ついにEUとの関係が終了することになりました。

離脱派の中心人物として首相の座をつかんだボリス・ジョンソン首相「大きな希望の瞬間。実現しないと思っていた瞬間だ」と喜び、「これは終わりではなく始まり。国家として再生して、変わる瞬間だ」と述べました。

一方、EU残留派が多いスコットランド自治政府スタージョン首相「スコットランドは国民投票で、EU離脱を選択していない」と述べ、スコットランド独立の国民投票を年内に行うという考えを表明しました。

イギリスのEU離脱は遠いヨーロッパの出来事で、しかも日本への直接の影響は今のところ少ないといわれていますので、一般の日本人には関心が薄いようです。

しかし、安全保障や経済力において、EUは米国に次いで世界第2位の勢力圏ですから、今後の世界情勢に大きく影響を及ぼす可能性があります。

そこで、

そもそもEUとはどういう組織?

イギリスはなぜEUを離脱したの?

イギリスのEU離脱の影響は?

など、わかりやすく、まとめてみましたのでおつきあいください。

EUとは?EUの歴史と活動は?

 

EUは経済、安全保障、刑事司法などヨーロッパの広範な統合体欧州連合とも呼ばれる国際組織です。

イギリスをのぞくと27カ国のヨーロッパの国々が加盟しています。

加盟各国は、経済・通貨について、国家主権の一部をEUに委譲し、域外に対して統一的な通商政策を実施する単一市場を形成しています。

その他の分野についても、加盟国の権限を前提としながらも、できる限りEUとして共通の立場で「一つの声」として発信しています。

EUの統治体制は、加盟国首脳で構成される「欧州理事会」を最高機関とし、「EU理事会」「欧州議会」「欧州委員会」「欧州体外活動庁」「欧州司法裁判所」「欧州中央銀行」からなります。

EUの規模を示す主な指標は次の通りです(イギリス離脱前)。
参考:外務省資料

・総面積:429万km2(日本の11倍)
・総人口:5億1246万人(日本の4倍)
・GDP:17兆3254億ドル(2017年)(日本の約3.5倍)
・一人あたりGDP:41,339ドル(2017年)(日本とほぼ同一)
・2019年実質GDP成長率予想:2%(日本の予想0.8%)
・2019失業率予想:6.7%(日本の予想2.4%)

EU(欧州連合)成立の経緯は?

ヴィクトル・ユゴーがかつて「欧州合衆国」を構想したように、ヨーロッパを統合するという考えは哲学者や理想家が思い描いた夢でした。
*参考:「EUを知るための12章」

2度の世界大戦によってヨーロッパは荒廃しましたが、その再建のなかで、各国が、ヨーロッパ内でいがみ合うのではなく、緊密なコミュニケーションや人的交流といった共同体が必要であるといった気運が高まっていきました。

大戦後も領土や資源に関してヨーロッパ内での紛争が度々発生していたのです。

加えて、米国が急速に勢力を拡大し、経済的、政治的に米国に対抗するためには、ヨーロッパ各国の連帯が必要でした。

そういう潮流のなかで、1952年ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)がフランス、西ドイツなど6ヶ国で設立されます。石炭、鉄鋼の生産はそれまでフランス、ドイツで対立の火種となっていましたが、共同管理機関に置くことで対立を回避し、平和的に解決することを目的としました。

初代委員長には、のちに「欧州統合の父」といわれたジャン・モネが就任しています。

1958年にはECSCの6カ国で石炭・鉄鋼だけでなく経済統合を進める「欧州経済共同体」(EEC)、原子力エネルギー分野での共同管理を目指した「欧州原子力共同体」(EURATOM)が設立されます。

1967年にこの3つの組織を統一し、ヨーロッパ共同体(EC)が発足しました。

イギリスは当初は主権の制限を嫌い、この動きには同調せず傍観していましたが、経済の不振により60年代には参加の方針に転換したものの、フランスのド・ゴールが反対し、加盟は73年まで遅れました。

その後、1987年「ブラックマンデ-」と呼ばれる世界金融恐慌1989年ベルリンの壁崩壊による東西ドイツの統一など、激動する国際情勢を背景に、ECはさらに結束を図るため、1993年EU(欧州連合)という新しい組織体として、12カ国が加盟して発足しました。

最後の加盟国はクロアチアで2013年7月に28番目のEU加入国となりました。

EU(欧州連合)の主要な活動とは?

EUの主な活動内容を見ていきましょう。

・EU内、移動・居住・就労の自由

EU市民はEU域内のどこでも移動・居住・就労ができます。

1995年、EUの22カ国とEFTA(欧州自由貿易連合)加盟国4カ国(シェンゲン圏)においては出入国検査が廃止されました。

出身国が発行する欧州健康保健証があれば、どこでも医療サービスが受けられますし、教育、医療などの資格が共通化されています。

国籍にかかわらず、市町村議会や欧州議会選挙に投票、立候補できます。

・関税同盟

1968年、EUの間の貿易では原則として関税をかけず、数量制限を撤廃するとともに、域外に対しては同率の関税と共通通商政策を適用しています。

EU内では自由貿易となり大きなメリットがありますが、域外にとってはブロック経済化を招く懸念もあり、WTOが監視しています。

・経済通貨同盟(EMU)

2002年1月1日からユーロ通貨の流通が開始されました。

ヨーロッパ中央銀行のもとで各国通貨の為替相場を固定化し、各国通貨と併用しながら単一通貨ユーロに移行しました。イギリス、デンマーク、スウェーデンは参加していません。ユーロ圏は現在19カ国となっています。

・共通移民政策

国の構成員をどうするかは国家主権にかかわることですが、EU内で移動が自由化されると、EUとして移民政策を共通化させることが必要となりました。

EUとしては入国管理の強化差別の除去不法移民対策加盟国民と第三国民の雇用格差の解消など多面的な共通政策を急いでいます。

特に、2015年から2016年にかけてシリアなどからの難民問題の危機に直面し、さまざまな処置を講じています。たとえば、

EU対外国境の警備強化移民・難民の欧州社会に溶け込むための支援トルコに滞在する350万人のシリア難民の支援難民の入口であるスペインとギリシャへの緊急支援難民の発生元のアフリカでの難民保護・国境管理強化

などです。

・安全保障

共通の安全保障・防衛政策を発展させることはEUの目標でしたが、1999年、2000年の欧州理事会で、欧州安全保障・防衛政策(CSDP)のための4つの機構が設立されました。

「政治・安全保障委員会」「EU軍事委員会」「文民危機管理委員会」「EU軍事参謀部」です。

これにより加盟国が自国軍の一部をEU部隊に派遣し、EUは自ら主体的に人道支援・平和構築・平和維持活動を遂行できる能力を有するようになりました。

そこでEUNATO(北大西洋条約機構)は互いの活動が重複しないように「ベルリン・プラス」という取り決めに合意しています。

ただEU加盟国の軍事力統合によるEU軍構想は繰り返し提案されますが、遠い道のりと言えます。

(下)に続きます。











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コメント

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